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2010/8/11 ジークフリート

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2010年8月11日  バイロイト音楽祭
演出  タンクレード・ドレスト
ランス・ライアン(ジークフリート)、ヴォルフガング・シュミット(ミーメ)、アルベルト・ドーメン(さすらい人)、アンドリュー・ショアー(アルベリッヒ)、ザビーネ・ホグレーフェ(ブリュンヒルデ)、ディオジェネス・ランデスファフナー)  他
 
 
 神話の物語と現代の世の中を織り交ぜ、「神々たちは、我々の日常生活のすぐそこの狭間でうごめいている。ただ、妖精のごとく、見えないだけ」というコンセプトを持ったドレスト演出の指環。(※ワルキューレ第一幕冒頭で、一人の子供(現代人)がジークリンデを発見し、驚いてその場を離れるという設定があった。「見えない」のは大人だけで、純粋な心を持つ子供だけには見える、という意図があるのかもしれない。)
 
 そんなコンセプトに基づいたジークフリートの第一幕は、今は廃校となっている学校の理科室が舞台。続いて第二幕は、森林を切り開いてハイウェイを建設中の現場で、未完成の道路が佇む森の中が舞台。
 演出の意図は明白。人間の手が加わって変形した自然、あるいは人間が勝手に置きざらしにした場所であっても、妖精たち(登場人物)にとっては、格好の潜む場所であり活動の場所である、ということだろう。そう解釈すると、あたかもこの物語が、人間によって生態系を乱されつつも、環境にしっかり順応しながらたくましく生きる野生動物の世界のように見えてくる。まさに環境破壊についてやわらかくオブラートに包みながら警鐘を鳴らし、風刺を効かせた現代のメルヘンだ。宮崎駿ワールドにも相通じる。
 
 ここで、改めて演出を担当したドレストの本業を顧みる。彼は劇作家なのである。奇想天外な発想で原作をガラリと作り替えてしまうプロではなく、オリジナルの原作品を編み出すプロだ。だから、ワーグナーの作品からコンセプトを読み取ったら、あとは誰が見ても分かるような物語を作っているのだ。
 
 私はそんなドレスト版リングを良とした。(みんなティーレマン・リングと呼んでいて、だれもドレスト・リングと呼ばない。ひどいもんだ。)保守的すぎると批判する人がいるが、そういう連中は激辛カレーを食べすぎて、少々の刺激では満足できなくなっているに違いない。
 
 ジークフリートを歌ったランス・ライアンはカナダ生まれの若手で今回がバイロイトデビュー。DVDで話題になったスペイン・バレンシア歌劇場でのメータ指揮のリングでも、堂々ジークフリートを歌っている。重量感は足りないが、聴かせどころである溶解の歌と鍛冶の歌は立派で素晴らしかった。まずは合格だろう。
 大変残念なことに、ブリュンヒルデ役のリンダ・ワトソンが落っこちた。「病気により」とアナウンスされたがどうだかなあ。怪しいもんだ。代役は全く知らない人。悪くはなかった(いや、むしろ頑張った)が、大絶賛というほどでもない。予定されていたキャストの変更というのは、些細かもしれないが、事前の期待が大きい分、感動の余韻に水を差す。
 
 この日もティーレマンは絶好調。オーケストラを鳴らすところは鳴らし、聞かせどころで足踏みするかのようにテンポを落として強調させたり、とやりたい放題。それでいて歌とのバランスは終始絶妙だった。
 
 ドレスト演出を持ち上げた私だったが、やっぱりなんだかんだ言っても、これは「ティーレマンリング」であることには異論なしであります(笑)。