一般的に、パルジファルはワーグナーの魅惑に満ちた作品群の中ではかなり敷居が高いとされる。
キリスト教に馴染みが薄い日本人にとって、キリスト受難、聖杯・聖槍伝説が根幹となっているこの作品が取っつきにくいのはある意味当然だろう。
キリスト教に馴染みが薄い日本人にとって、キリスト受難、聖杯・聖槍伝説が根幹となっているこの作品が取っつきにくいのはある意味当然だろう。
また、「鑑賞中、ちょっと居眠りして見過ごしたが、目を覚ましても依然として同じ場面で同じやりとりをしていた」なんて話はよく聞かれるところである。
そんなことなので、私自身、この作品にはなかなか手を出さなかった。ワーグナーのオペラでいよいよ最後に残ってしまったパルジファルを、「さてと、それじゃいよいよ聴いてみるか」と取り掛かったものの、案の定、壁にぶち当たった。
「わからん。意味がわからん。」
「わからん。意味がわからん。」
パルジファル-清らかなる愚者 清らかなる愚者って・・意味不明。わからん。
クンドリにキスされて「あんふぉ~~~~るたああ~~っす!!」 わけわからん。
そのクンドリ。ナゾの女。何者?
対訳を追っているだけではわからない。「あの人を見てしまったの。そして、思わず、笑ってしまった!」 意味不明。わけわからん。
クンドリにキスされて「あんふぉ~~~~るたああ~~っす!!」 わけわからん。
そのクンドリ。ナゾの女。何者?
対訳を追っているだけではわからない。「あの人を見てしまったの。そして、思わず、笑ってしまった!」 意味不明。わけわからん。
クンドリが見た「あの人」というのがキリストで、彼をあざ笑ったが故に永遠に救われない宿命を背負うのだということや、パルジファルがクンドリのキスによって叡智を悟り、アンフォルタスの苦悩を知る、なんてことははっきり言って解説書を読まないと分からない。これはやっぱり難しいと思う。
だが、困難を征して達成したときの充足感が大きいように、音楽を聞きこなし、ストーリーや背景を把握して理解を得、いったんこの作品を手に入れると、その偉大さに圧倒され、深い感動を得ることができる。特に、第3幕最後で救済者となったパルジファルがアンフォルタスを傷を塞ぎ、聖杯が輝いて奇跡が起きる場面は、時として震えが起きるくらいの感動ものだ。
日本での上演はとにかく稀だ。もっともっとこの作品を味わいたいのだが、なかなか叶わない。先日のようにコンサート形式上演でも十分ありがたいくらいだ。