最近仕事が忙しくてきつく、全然ゆとりがない。昨日も休日出勤で、残念ながらラザレフ&日フィルの公演を断念せざるを得なかった。(もちろんチケットを買ってあった。)
金曜日も本当は仕事が溜まっていたのだが、とりあえず放り投げてトリフォニーホールに向かった。
2010年3月12日 新日本フィルハーモニー交響楽団 トリフォニーホール
指揮 ヴォルフ・ディーター・ハウシルト
アイネム ブルックナー・ディアローク
ブルックナー 交響曲第9番
1 おじいちゃんであること
2 ドイツ・オーストリア系譜であること
3 齢を重ねるに従ってレパートリーが狭くなること
4 頑固な性格であること
以上がブルックナーを振るのにふさわしい指揮者とされる資格・要件である。
もちろん冗談で、これらの資格要件を満たさないからといって、ブルックナー指揮者として認められないわけではないが、これらの要件(できれば3つ以上)を満たすと、‘ブル・ヲタ’と呼ばれる人たちから崇められます。
4つの要件を全て満たしていたのは、ご存じ御大G・ヴァント。彼はブル・ヲタどもから「神」として奉られた。伝説の公演として永遠に記憶される来日公演でのブル9は、まあ確かに後光が差していたな。
あとはチェリビダッケ。厳密に言うとルーマニア人だが、ドイツ・オーストリア系譜と言っていいだろう。
その他、ヨッフム、スクロヴァチェフスキ、ジュリーニなどが、全てとはいかなくとも十分な資格を有し、かなりいい線いっていたと思う。
さて、と。そこで今回のディーター・ハウシルト。
上記の1と2は問題なし。
3はどうかなあ。新日本フィルとの組み合わせではドイツ物を中心に取り組んでいるが、実際のレパートリーはよく分からない。結構広そうな気もするが。オペラもやるみたいだし、この日の一曲目も、誰も知らないアイネムだし。
4。これが問題だ。全然頑固ではなさそうだ。ニコニコしていて、好々爺に見える。やさしそうで、プローベでもきっと穏やかであるに違いない。
第1楽章はまさにそんな優しさと穏やかさが出ていた。音質も透明かつ澄んでいて、どこか安心感がある。良質のミネラルウォーターを飲んだような爽やかさ。
ところが、だ。
第2楽章を経て第3楽章に至って、音楽がみるみるうちに深化していった。まるで浜辺の淡い海の色が、沖に出るに従って深い緑色を帯びるかのように。とぼとぼとした歩みではあるが、ハウシルト爺は間違いなく深淵の世界に進入しようとしている。行き先は安らぎの桃源郷でないことは明らか。いったいどこに行くというのか。
彼が探そうとしているのは、ここで絶筆・未完となり、目的地に辿り着けずに終わったブルックナー最後の痕跡ではないだろうか?
安心しきって心地よい音楽に身を委ねていたが、最後は荘厳な気分になった。そういえば、何となくであるが、同じく絶筆となったマーラー交響曲第10番第1楽章を聴いた後と同じような感覚に囚われ、体が硬くなった。
さすがハウシルト。頑固な性格かどうかは関係なく(実は頑固だったりして)、ブルックナーを振るに十分相応しいことを自ら証明した。