クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

指環の思い出2

大学2年生の時だった。
クラシック音楽好きの仲間の一人がとてつもない企画を思いついた。

その名も「クラシック・ヒアリングマラソン」。ジャジャーン!

 物好きな連中が集まって、夜通し徹夜でクラシックを聴き続けるという、呆れて物が言えない企画。まあ、飲み食いしながらということで、単なるクラシック音楽BGM付きの宴会と言えばそれまでだが、あくまでも建前は「聴く」ことが主目的で、途中で寝たら‘罰金’という恐ろしい条件が付いていた。

 第1弾が「マーラー交響曲全曲夜通しヒアリングマラソン」。好評につき第2弾が「モーツァルト交響曲全曲マラソン」。さらに調子に乗って第3弾として企画されたのが、「ニーベルングの指環」一晩一挙連続鑑賞会であった。

 第1弾、第2弾と参加した私であるが、第3弾は早々に不参加を表明。だって、指環知らないしさ、高校生の時の苦い記憶があるしさ。
 そもそもオペラ自体ほとんど未開の領域、っていうか、偏見もあってオペラを毛嫌いしていた。そんな人間が夜通し聴き続けるなんて、無理無理無理無理。拷問というものだろう。

 しかし、参加パスの申し出はあっけなく却下され、無理やり引きずり込まれた。(さすがに16時間のリングだと、私のように尻込みし、参加者が少なかったという事情があったらしい。)

 現在のようにDVDの映像(字幕付)で見れば、まだ違ったかもしれない。
 だが、本来ストーリーがあり歌詞があるのに、内容も分からず、ただ音だけを延々と夜通し聴かされるのは、案の定苦痛でしかなかった。

 決めた。罰金払って寝ちゃおう。

 一応ワルキューレまでは聴いた。(よく頑張った!)しかしその後はビールをがぶがぶ飲んでおやすみ~。だってしょーがないでしょうが。だから最初から「不参加だ」って言ったでしょうに。

 ちなみに、このヒアリングマラソン、この指環をもって終了しました。
 ネタ切れ、行き着くところまで行っちゃった到達点が指環だったわけですね。それに企画自体、相当の無理があったと思うよ。みんな酒飲むから、一晩持たずに寝ちゃう人が続出するんだ(笑)。私だけではなかったということ。


 それから三年後。
 就職し社会人一年生の秋。日本に黒船がやってきた。

 ベルリン・ドイツ・オペラ来日による日本史上初のニーベルングの指環全曲チクルス上演。全てのワグネリアン待望、空前の事件だったと言ってもいいだろう。

 だが私は行きませんでした。

 依然としてリングは未知だったし、チクルス(4公演)で当時10万円以上もしたチケット代は、安月給の新入社員には高嶺の花。今考えると、ルネ・コロのジークフリート、リゲンツァのブリュンヒルデ、サルミネンのハーゲンなどが聴けたのだが。惜しい。

 しかし、相変わらずオペラに全く興味が無かったかというとそうでもない。

 この頃から私は少しずつはあるが、オペラを聴くようになっていた。

 R・シュトラウスばらの騎士に巡り会い、オペラに対する垣根は取り払われていた。ワーグナー管弦楽集を愛聴し、その重厚なサウンドに惹かれるようになったし、大学のオーケストラ部でローエングリンのオペラ抜粋(合唱付)を演奏して、ワーグナーの魅力が徐々に分かるようになってきたというのもある。

 だから、上記のベルリン・ドイツ・オペラも、一瞬そそられたのだ。指環は知らなかったが、聴いてみたいという気持ちは湧いたのだ。お小遣いの余裕があったら、きっと行ったと思う。
(ちなみにベルリン・ドイツ・オペラでは、今も、この時のG・フリードリッヒ演出によるプロダクションが現行バージョンとして続いている。)

 私にとって、リングへの扉はもうすぐだった。夜明けは確実に近づいてきたのである。