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2010/2/20 新国立 ジークフリート

2010年2月20日 新国立劇場
ワーグナー  楽劇ニーベルングの指環より第2夜「ジークフリート
指揮  ダン・エッティンガー
演出  キース・ウォーナー
クリスティアン・フランツ(ジークフリート)、イレーネ・テオリン(ブリュンヒルデ)、ヴォルフガング・シュミット(ミーメ)、ユッカ・ラッシライネン(さすらい人)、ユルゲン・リン(アルベリヒ)、妻屋秀和(ファフナー)、シモーネ・シュローダー(エルダ)  他


 待ちに待ったトーキョーリング再演が、昨年の前半2作品上演に続き、いよいよ後半スタート。まずはジークフリートから。

 のっけから、カラフルでポップでシャレの効いたブッ飛びジークフリートワールドがパワー全開。「ジークフリートの三分間クッキング!」など、もう腹抱えて笑いたいくらい面白くて、わたくし的には「ちょー最高~!!」だったが、真面目なワーグナー哲学を好む方々にとってはかなり戸惑ったかもしれないですね。

 でも、ですねぇ。
 演出家は決して単なる悪ふざけをしているわけではないと思いますよ。(ちょっとはふざけているかもしれないけど(笑))

 このキース・ウォーナー演出のリングは、あちこちに張られた演出家の‘仕掛け’を推理し、読み解く作業が求められている。見た人それぞれが「あれはいったい何?」と頭の中を巡らせる。
 正解は、というと「あるかもしれないし、ないかもしれない。」
 だから、勝手に「あれは○○に違いない」と思い込むことが出来たら、それが正解で、それこそがまさにウォーナーの望むことだ。(と、思う)

 上記の「カラフルでポップでシャレの効いた」ジークフリートも、私には演出家が仕掛けたトラップとしか思えない。じゃあそれはなにか、と考えてみる。

振り返ってみよう。

ラインゴールドで、ラインの乙女達は、最初赤ん坊の格好で登場した。
ワルキューレで、ブリュンヒルデは、子供が遊ぶ木馬(グラーネ)に乗って登場した。
そして今回、ジークフリートは、手に負えない腕白坊主として登場した。

共通しているのは「幼児性」である。いずれもそこから「成長」が図られる。

 ジークフリートは、ヴォータンやアルベリヒが仕掛けた指環の策略など知る由もない。また、自分の素性さえも知らない。いわば原始人として育ったわけであり、やることなすこと思慮思索が無く、軽薄。

 演出家はこれを‘未成熟なる物’として「ライトでポップで無責任なアメリカの若者文化」に結びつけ、そこに「幼稚さ=幼児性」と当てはめた。(と私には思えた)

 ミーメの家はどことなく70年代のアメリカンスタイルを感じさせるし、ジークフリートが着ているTシャツは、ある意味アメリカの娯楽の象徴「スーパーマン」。ファフナーが眠る森に建っているホテルには、ドイツが舞台(ただし神話)であるはずなのに「Vacancy=空きあり」という英語表記。アメリカの郊外によくあるモーテルなのだろう。

 なお、「幼児性とそこからの成長」ということで言えば、「小鳥」もそうだ。
 あたかも子供だましのような着ぐるみを着ていたかと思ったら、第2幕最後にその着ぐるみを脱いでハッとするセミヌードを披露するなど、まさにそういうことだろう。


 それ以外に気付いたことを挙げてみる。

 第3幕冒頭のエルダとヴォータンの場面。
 階段を登り降りしている3人は、「ノルン姉妹」で間違いなかろう。第3幕のフィナーレにも現れて、続く「神々の黄昏」第1幕第1場を暗示しており、その発想は見事としか言いようがない。

 部屋いっぱいに散乱しているのは映写フィルム。
 ノルン達は知の神エルダが予言した数々の歴史の一編を紡いでおり、フィルムはそれらを収録した物証である。
 ラインゴールドの冒頭、ヴォータン(と思われる)があたかも回顧するかのように映写機を回して映画を見ているところからこの物語がスタートしていることとも大いに関連がある。

 なお、ここのシーンで、部屋の右隅に「00,00」とデジタル表示された計測器が置いてあったが、これについてはあまりよく分からなかった。「ノルン達の仕事は、映像収録も含めて、歴史という時空間の計測」という意味かな、とも思ったのだが・・・単なるオブジェかもしれない。

 同じく‘計る’物で、ブリュンヒルデが寝ていたベッドに目覚まし時計が置いてあり、針が11時50分を指していたが、この時間からして、ニュースなどで時々紹介される終末時計(核兵器の使用などによる人類の終末時間を仮に12時とした場合に、現在は何時何分で残り何分か、という世界の危機状況を計る物)に見えた。
 つまり、「神々ヴォータン一族の終焉まで残りわずか」を示すというわけだが、これはやや勘ぐりすぎかも??


 それにしても、ウォーナー・リングの何と面白いことよ!!
 演出のことだけでもこれだけ語れてしまう。私は以前のブログで「このトーキョーリングは世界最高ではないか!?」と書いたが、今でもそう思う。


 ちょっと長くなったので、演奏面の感想については次回にさせていただきます。
(自分は音楽鑑賞の愛好家なのに、肝心の音楽のことが後回しだなんて・・・)