私の初めてのウィーン旅行は、友人Oくんと行った1988年8月。スイスアルプスをハイキングした後、ルツェルン、ブレゲンツ、ザルツブルクの各音楽祭を巡って、最後にウィーンに到着した。
ご存じの通り8月のウィーンは、音楽シーズンとしてはオフであるため、ただ観光で(あるいは帰国のための拠点都市として)行っただけであった。
音楽を聴くことを目的としてウィーンに行った実質的に最初の旅行は1990年11月。この時、ウィーンで一番最初に聴いたのが、コシュラー指揮オーストリア放送交響楽団@楽友協会ホール(ムジークフェライン)、曲がヤナーチェクのグラゴル・ミサであった。
この時の旅行で、国立歌劇場で観たマイスタージンガーとボエームは事前にスケジュールを確認していたが、ムジークフェラインはノーチェックだった。ウィーン・フィルを聴ければラッキーだが、そうでなくても現在のサントリーホールのようにほぼ毎日のように公演をやっているのだろうし、「何か聴けるだろう」という楽観があった。
で、ウィーン到着早々にムジークフェラインに出掛けて、公演を確認したのが上記のオーストリア放響だったのである。
チケットは楽勝で買えるかと思いきや、これがびっくりするくらい残券僅少。入手しやすい価格帯のカテゴリーはほぼ売り切れ(絶句)。残っていたのは、一番高いカテゴリー(S席)が若干、あとは視覚的に良くない(ステージがよく見えない)席と、立ち見席のみであった。値段の安さに惹かれ、私の初めてのムジークフェラインは立ち見鑑賞となった。
これが最大の失敗であることに気付く。
立ち見席は平戸間一階席の最後方。まるで檻みたいな場所に入れられるのである。ステージを真っ正面に見据えて鑑賞できるベストポイントをゲットするためには、とにかく早く行って並ばなければならない。視界を確保できるのはせいぜい2列目まで。背が高ければかろうじて3列目もぎりぎりセーフ。あとはアウト!
そんなことなど全く知らない私は呑気にも開演の15分くらい前に会場入りしたところ、既にベストポジションは全て先着組に取られていた。私は立ち見エリアの更に後ろの方で、人と人との隙間から覗ける場所を見つけるために演奏中もウロウロと動きながら聞き耳を立てた。
やがて疲れてくる。哀しくなる。情けなくなる。何でこんなことまでして音楽を聴かなければならないのか?
私は途中で立ち見を放棄。後ろの方に座り込み、後悔の念を感じながら、あたかもBGMのように流れてくるヤナーチェクをぼーっと聴いていた。
ふとまわりを見渡すと、私と同じようにステージを観ることを断念し、地べたに座り込んで聴いている人が何人かいる。そのうちの一人と目が合い、お互い「やれやれですね」と心の中で会話し、微笑んだ。
一瞬だけ心が温まったが、すぐに「今後ウィーンに来たとしても、ムジークフェラインで立ち見席はもう二度と買うまい」と決心した。
良かったのは、こんな檻のように閉じ込められる立ち見席でも、休憩時間中は自由にホール内をうろつけるため、黄金のホールをおのぼりさんのごとく「うわ~!!」と歩き回り眺め回ることができたこと。それだけかな(笑)。
というわけで、この時のコシュラーのグラゴル・ミサの感想は、残念ながら「無し」。
ただ、遡ること4年、1986年9月に、同じコシュラー指揮東京都交響楽団で、同じくグラゴル・ミサを聴いており、こちらは今でも「とても良かった」と憶えている。なので、上記のウィーンでも素晴らしい公演だったのだろう、きっと。
おととい聴いたデュトワN響でのグラゴル・ミサ。なんとびっくりだが、このウィーンでの公演以来19年ぶりに生で聴いた。実に感慨深い。