2009年12月6日 新日本フィルハーモニー交響楽団特別演奏会 サントリーホール
指揮 小澤征爾
上原彩子(ピアノ)
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番
ブルックナー 交響曲第3番「ワーグナー」
オザワセイジの人気は相変わらずスゴイ。
このコンサートについては私は甘く見ていて、チケットは普通に買えると見込んでいたら、プレオーダーは外れるわ、一般発売では瞬時に売り切れて買えなくなるわ、で焦った。別に何が何でも行きたかったわけではないが、いざ買えなかったとなるとヤケに悔しさが募ってしまい、余計に行きたくなってしまった。結局ネットオークションに手を染めてしまいました。くそー。
これは来年のウィーンフィルは結構大変かも。今年のメータは近年稀にみる楽勝だったのだが・・・。
さて、肝心のこの日の公演であるが、もちろん悪くはなかったが、普通だったかなあ。本人は一生懸命音楽に没入しているのだが。
なぜ「普通」に感じてしまったのかを考える。
おそらく、我々聴き手はブルックナーの演奏に特別なものを求めようとしている。神の啓示、お告げをついつい期待する。
それに対してオザワセイジさんの場合、ブルックナーであろうとベートーヴェンであろうと、あるいはチャイコであってもドヴォであっても、作品に優劣を付けたり、取り組みに差異を作らない。10分程度の小品であっても60分の交響曲であっても、目の前にある曲は、彼にとって全て大切な芸術作品。
つまりオザワさんは、ことさらに誇大させたり強調させたりすることをしない指揮者なのだと思う。
それはそれで素晴らしいことだろうし、それが良い方向に出てシンプルに作品の良さを再認識することもあるだろう。
でも。
たまには是非やってほしい気もする。「そこまでやるか」というびっくり仰天、グロテスクな演奏を。演奏を聴いた人達が熱気を帯びながら「いやあああ、スゴかったねえぇぇ!」といつまでも語り合えるような演奏を。そう、ついこの間ゲルギエフが披露したような、ブッたまげるようなやつを。
・・・・そうか。
なぜ「普通」だったのかようやく分かった。つまり、ゲルギエフの公演を聴いてしまった後だったのだ。そういうことだったのだ(笑)。