先日、日本を代表する指揮者の一人であった秋山和慶氏がお亡くなりになった。謹んでお悔やみ申し上げたい。
驚きだった。最初は引退というニュースだったのだ。
転倒による怪我(頸髄損傷)と報じられていた。引退は残念だけれども、怪我だというのなら、命にさほどの別状はないだろう。リハビリを経て回復が期待出来るだろう。そういうことで、あまり深刻に捉えていなかった。
そこからまもなくで訃報に接するとは・・・。
年齢が年齢だけに、あっという間に糸が切れてしまったのだろうか・・。
天国に旅立った本人や御家族の無念の心中を察するに余りあるが、日本のクラシック界を牽引し続け、現役バリバリをずっと続け、倒れた日の前日まで指揮台に立っていた。充実した栄光の音楽家人生だったのではなかろうか。
私自身は、秋山さんが指揮する公演に何度も足を運んでいるが、正直に告白すると、「秋山和慶」という名前に惹かれて行ったという感じはあまりない。演奏曲目や共演ソリスト等、指揮者を含めた公演の総合的な魅力と関心でチケットを買うことが多かった。
堅実、安定の指揮者。
実像は別として、秋山さんに対してはなんとなくこういうイメージを持ってしまっていた。
優しそうな顔。大学の教授みたいな佇まい。怒ったり、感情を全面に出さず、派手なパフォーマンスや外連味も出さず、指揮メソッドに忠実なタクト・・・。
公演の感想で、日ごろから偉そうなことを抜かしておきながら、結局は己がそうした先入観やイメージから抜け出ていなかった気がする。立ち返ってみれば、音楽の本質って「そこじゃねえよなー」と思う。自分はまだまだ修行が足りぬ。
(ただ、もしそこに「絶対的カリスマ」「巨匠」みたいな突き抜けたイメージが付いていると、そういう触れ込みだけで思わず公演に行きたくなる。なんだかんだ言って、イメージは結構重要な決め手だなとも思う。)
そんな中でも、「この指揮者、すっげーじゃん!」と腰を抜かし、今でも強烈に覚えている公演が2つある。
一つは、私が言うまでもなく語り草になっている1994年の東響によるシェーンベルク「モーゼとアロン」。
これはホント腰抜かした。
今、冷静に考えると、演奏というより作品そのもののインパクトにやられた感じがしなくもないが、なんでこんなに凄い音が鳴るんだろうと唖然としたことを覚えている。
もう一つは、東響ではなく客演だったけど、2009年の読響の定期演奏会。R・シュトラウスの没後60年を記念したプログラムでの「家庭交響曲」。
淡々としたタクトから出てくる大木の幹のような太い音、ゴージャスなうねり。いったいどんな魔法を使ったのかと驚愕した。まさに上に書いたイメージと実際に出てきた音とのギャップを見せつけられ、秋山マエストロにひれ伏した。
「題名のない音楽会」というクラシック音楽のTV番組があるが、随分と前、まだ作曲家の故:黛敏郎が司会をしていたある時、秋山さんが出演し、指揮者の役割、演奏の中から何を見つけ、取り出し、表現していくのか等を実際にタクトを振りながら解説していたのを観た。その時、「指揮者って、こんなにも細かくスコアを分析し、それを演奏に落とし込んでいくんだ!」と感嘆したことを、今でも覚えている。
タクト自体に派手さはなくても、論理的な楽曲分析と的確な手法によって、音楽を劇的に創生させる。まさしくそれを体現していたのが、秋山和慶という指揮者であったと思う。