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2024/5/21 ショスタコーヴィチ 鼻

2024年5月21日   バイエルン州立歌劇場
ショスタコーヴィチ  鼻
指揮  ウラディーミル・ユロフスキ
演出  キリル・セレブレンニコフ
ボリス・ピンハソヴィッチ(コヴァリョフ)、セルゲイ・レイフェルクス(イヴァン・ヤコブレヴィッチ)、ローラ・アイキン(ブラスコヴィヤ・オシポヴナ)、ギデオン・ポッペ(イヴァン)、アンドレイ・ポポフ(警察署長)、アントン・ロシツキ(鼻)、アレクセイ・ポトナルシウク(広告編集部員)、ドリス・ゾッフェル(老貴婦人)、アレクサンダー・テリガ(医者)   他

 

ようやく、ショスタコーヴィチの「鼻」を鑑賞することが出来た!

大のショスタコ好きだというのに、この作品を今まで一度も生鑑賞したことがなかったのは、痛恨。「これを観ないことには、自分のオペラ人生を終わらせることが出来ない」というのは少々大げさだが、あながち冗談ではない。ずっと、どこかで鑑賞できないか探していて、ようやくその機会が訪れた。ついに念願が叶った。

この作品、ある日突然主人公の鼻が顔から離れ、自立し勝手に行動して騒動を起こす、というハチャメチャな物語。(これがロシアの有名な小説家ゴーゴリの作だというから、驚く。)
そんな物語に相応しく、ショスタコーヴィチの音楽も狂騒、炸裂の大爆発。バカバカしさの中に、いかにもショスタコらしく、世俗社会や政治、官僚体制などをさり気なく風刺。毒が効いていて刺激的、最高に面白い。

にもかかわらず上演の機会が稀有なのは、難解な音楽、ロシア語上演で、なおかつ膨大な出演者を必要とするという、厄介な条件が揃っているからに違いない。

予算が潤沢、幅広いレパートリー演目の上演を可能にする一流劇場、音楽総監督がロシア出身、といった好条件がバッチリ整い、天下のバイエルン州立歌劇場が制作。プレミエは2021年10月。
今回、再演であっても、引き続きユロフスキが指揮を担ってくれたのは幸い。彼がここミュンヘンで指揮をするオペラを観るのは昨年7月に続き2回目だが、両方ともなかなか上演されないロシア物だというのも、これまた嬉しい。


さて、本公演の演奏面についてだが、ショスタコーヴィチ管弦楽法が見事なのか、それを捌く指揮者ユロフスキが見事なのか、まあ両方なのだろうけど、管楽器が持替えによる1パート1人の特殊編成を感じさせない厚みと迫力のある響きが驚異的である。音楽とセリフと歌唱は緊密に結ばれ、融合している。オーケストラも、とりわけ金管楽器の技量が高く、合奏としても非常にハイレベルだった。

出演歌手も、歌っていることを感じさせない役の入れ込み様がすごく、また、楽曲の難しさを微塵も感じさせず、あたかも演劇を観ているかのようだった。
今回は再演なので、リハーサルや稽古は初演時に比べて格段に少ないはずなのに、完成度が高い。ただただ唖然であった。


演出について。
ちょっと難解である。
というのも、本来物語の鍵を握るはずの「鼻」が出てこないのだ。
舞台は、警察署所管内の出来事として進行する。登場人物のほとんどが警察官で、まるで脂の塊が吹き出ているかのような醜いフェイスマスクを着用。主人公のコヴァリョフの鼻が消えてなくなると、そのマスクや脂肪の塊の肉襦袢が脱ぎ捨てられ、ごく普通の人間の姿になる。最後に鼻が元に戻ると、再びマスクと肉襦袢を着て、醜悪でギトギトした容姿に戻る。

なんとなく読み取ることが出来る。
フェイスマスクや肉襦袢による醜い容姿は、警察官僚機構や権力の腐敗、人間の欲や屈折した人格などを象徴しているのだ。
もし仮にそれが正解なら、そこから逃避しようとする鼻は正義ということになるが、結局捕まり、元の人間のところに戻り収まるということは、要するに「諸悪は是正されない」という人類や社会に対する批判、皮肉、警鐘ということだろう。


この日のバイエルン州立歌劇場のお客さんの入りはイマイチ。7割程度だろうか。95%以上の集客力を誇る劇場からすると、少々残念。やっぱりレアで難解な作品が敬遠されたのだろうか。
だが、バイエルンだからこそ上演出来る作品である。手っ取り早く集客が見込める人気演目だけでなく、是非今後もこういう先鋭的な作品を上演し続けて欲しい。