クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2022/12/25 都響「第九」

2022年12月25日   東京都交響楽団   東京文化会館
都響スペシャ「第九」
指揮  エリアフ・インバル
合唱  二期会合唱団
隠岐彩夏(ソプラノ)、加納悦子(メゾ・ソプラノ)、村上公太(テノール)、妻屋秀和(バリトン
ベートーヴェン  交響曲第9番 合唱付


いわゆる日本の年末第九に行くのは、2011年以来。
純粋に第九の公演というのなら、それ以降も2012年のバイエルン放送響、2013年のウィーン・フィル、2018年のクリーヴランド管などの演奏を聴いているので、それほど久しぶりでもないし、決して第九を避けているわけでもない。自分にとって聴く価値が見出だせるのなら、聴きたいと思う。

逆に言えば、日本のオケによる年末第九というのは、自分にとって聴く価値を見出せない、ということになる。なぜ年末に第九なのか。「第九イコール年末に聴くもの」という構図、風潮は、少なくとも私には当てはまらない。(オーケストラ側にとってのドル箱、餅代稼ぎなどという裏事情なんか、はっきり言ってどうでもいい。)
コンサートのチケットを買う際には、必ず動機がある。その動機の中に「年末だから」「毎年恒例だから」みたいな理屈や感慨は存在しないのだ。

とまあ、そんなことを言っておいてなんだが、例外もある。
例えば前回の2011年。日本人なら決して忘れられない、あの年だ。この時、年末第九を聴こうと思った。聴くべきだと思った。なぜなら、もしかしたら年末第九には禊ぎ、心機一転のパワーがあるかもしれない、そう感じたからだ。

そして今年。私は同じ思いに駆られている。
もうホントいい加減にしてほしい。この閉塞感漂う世の中の雰囲気を吹き飛ばしたい。区切りを付け、来年に向けて気持ちを切り替えたい。ずっと我慢してきたが、来年こそは海外に行ってやる。

第九に行こうと決めた。そして選んだのが本公演。インバル様なら、年末の風物詩ではなく、純粋にベートーヴェン交響曲作品として取り扱い、披露してくれるだろう。そういう期待があった。

ということで、「インバルの第九」を期待して臨んだのだが、結果として実に面白かったのは、「都響の第九」として見事に仕上がっていたことだ。

もちろんインバルは指揮者の仕事をしていた。枠を作り、方向性を示し、快速テンポで音楽を動かしていた。
だが、細かいニュアンス、ベートーヴェンのエッセンスを作っていたのは、紛れもなくオーケストラ、というか都響の奏者たちだったと思う。

なんという優秀な奏者たちなのだろう。
指揮者の意図を汲み取り、指揮者の導く作品像を正確に描く。各パート間のバランス調整にしても、インバルがそれを怠っていたわけでは決してないが、他パートの音に耳を傾け、響きの中からどのようにして自分の旋律を浮かび上がらせるか、注意深く探っていたのは、奏者の方だったと思う。

インバルは楽だっただろう。
「楽」という言い方はちょっと失礼か。じゃ「やりやすかっただろう」にしておこう。オーケストラが自分の方向性に忠実かつ精密に従いながら、絶妙な音楽を率先して作ってくれるのだからね。

それでも、手柄を持っていってしまうのが指揮者というもの。良い演奏は全部指揮者のおかげ。喝采は指揮者が受け取る。

でもね、私はきちんと見抜きましたよ。都響の皆さんの実力、素晴らしい。毎年毎年飽きるくらい演奏しているのに、そうしたことを感じさせない一期一会の演奏能力、素晴らしい。
プロだねえ。