クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

1990/11/26 ウィーン4

この旅行で、「どうしても行ってみたい」「やってみたい」ということがあった。
というより、それは「やらなければならない」こと、つまりミッションであった。

グスタフ・マーラー様へのご挨拶」
早い話、お墓参りである。

普通の音楽ファンがウィーンに行き、有名な作曲家の墓参をしたいと思ったら、足を運ぶのはウィーン中央墓地になろう。ベートーヴェンブラームスシューベルト、J・シュトラウスといった作曲家たちがそこに眠っている。
あるいは、ザンクト・マルクス墓地にあるモーツァルトの記念墓標もファンの巡礼地の一つだろう。これらは旅行ガイドブックにもしっかり案内されている。

だが、私が真っ先に詣でるべきところは、これらではない。まずご挨拶を差し上げるべきウィーンの偉大な作曲家といったら、それはもうグスタフ様をおいて他にいないのであった。

場所はグリンツィングという所にあるという。郊外で、ホイリゲや「ベートーヴェンの散策小道」などで有名なハイリゲンシュタットに近い。

あいにく、当時、それ以上の情報が無かった。
ウィーン市内にある観光案内所で聞けば、墓地の場所をサクッと教えてくれただろう。
だが、私は聞かなかった。行けばすぐに分かるだろうと思った。
だって、墓地なのだ。どうせ田舎だろ? どうせ付近には何もないだろ?
何の問題も無しだ。

ところが、これが・・・・

あ ま か っ た!!!

リンツィングに到着し、トラムを下車すると、そこに墓地らしきものは見当たらなかった。
住宅があり、商店があり、飲食店があり、通行人が行き交っていた。
おいおい、フツーに街じゃんかよ。

とりあえず近辺をふらふらと歩いて探してみたが、見つからない。付近に案内地図や標識、看板も見当たらない。

ヤバい。これは想定外だ。墓地のあるところだから、どうせ辺りには墓地以外に何もなく、行けばすぐに簡単に見つかると思っていた。だから、地図も何も用意していなかった。ケータイで簡単に調べられる時代はまだ到来していない。

こうなったら仕方がない。道行く人に尋ねよう。
ええーっと・・・。

ところでさ、墓地ってドイツ語・英語で何て言うの??
お墓でもいいんだけどさ、お墓ってドイツ語・英語で何て言うの??
マズイ。分からん。やっべぇーー。

せっかくここまで来て、諦めるわけにはいかない。
私は通行く人を呼び止め、ジェスチャーを交えて尋ねることにした。

「すみませーん、ええーっと・・・あのー、こんな形の、十字架の、アーメン、眠っている、グスタフ・マーラー、コンポーザー、Do you know??」

尋ねられた人は、ぽっかーん。「はあぁ??」って顔してやがる。
心の中できっと「何こいつ?? 何かヤバい奴?」と思ったに違いない。
怪訝そうな顔をし、やがてそそくさと逃げるように立ち去ってしまった。
あっちゃーーー・・・。

仕方がない。めげずに次の人にチャレンジ。
「すみませーん、ええーっと・・・あのー、こんな形の、十字架の、アーメン、眠っている、グスタフ・マーラー、コンポーザー、Do you know??」

両手を横に上げ、「何言っているのかさっぱり分かりませ~ん」ポーズで、やっぱりそそくさと立ち去ってしまった。

ううっっ・・これはめちゃくちゃ辛い。そして、さすがにハズい。「いったい何やってんだ、オレ?」って感じだ。言葉で用件を伝えられないというのは、こんなにも窮地に陥るのだろうか。とにかく情けねえ。

三人目の人にもつれない態度で逃げられてしまうと、さすがに堪え、萎え、そしてうなだれた。
ダメだこりゃ~。もうやめー。おしまい。

マーラーのお墓参り、叶わず。
そして残ったのは、激しい後悔と自己嫌悪・・。

この時私は学習した。教訓を得た。
「個人で(一人で)海外に行く時は、ハンディ和英辞典の持参が必須」

実は、この時の旅行で、言葉が出て来ず、大恥をかいた事件がもう1回あるのだが、それについてはまた後ほど紹介する。
なお、マーラーのお墓参りについては、次回の1996年のウィーン再訪時に無事リベンジを果たす。

ちなみに、墓地はドイツ語でFriedhof、お墓はGrab。その後に覚えた。もう絶対忘れねえ。


気を取り直して、観光を続行。
リンツィングから更にバスを乗り継いだ丘の上の終着点カーレンベルク。ここからウィーン市街を一望することが出来る。眼下はワイン畑。遠くにはオーストリア・アルプスに繋がっていくなだらかな丘陵。
絶景だった。
この美しい景色を目に焼き付けよう。決して忘れまい。マーラーのお墓参りが出来なかった屈辱の記憶とともに・・。