昨日、帰宅後に、グルベローヴァが出演しているR・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」ビデオ映像(1977/78年制作、K・ベーム指揮ウィーン・フィル)を視聴した。
当時31歳。若く、美しく、溌剌としていて、超絶難曲と言われるツェルビネッタのアリア「偉大なる王女様」を、光り輝くような発声で、いとも鮮やかに、いとも軽々と歌い決めるコロラトゥーラの歌姫がそこにいた。
何度も繰り返し見ているにも関わらず、思わず身を乗り出し、映像を見つめ、じっくり聴き入ってしまう。
なんて素晴らしいのだろう。なんて魅力的なのだろう・・。
そんな彼女が天国に旅立ってしまった。
信じたくない。嘘だと言ってくれ。
最後となった日本のステージでの歌唱から、まだ3年しか経っていないじゃないか・・・。
(ていうか、今日はそのお別れ公演(2018年10月20日 大宮ソニックシティホール)からちょうど3年目の日じゃないか。)
類稀なる才能を神から授かり、およそ40年の長きにわたって世界のオペラ界の頂点に君臨し続けた女王、ディーヴァ、プリマドンナ。
私がオペラに関心を持つようになり、「歌声」というものに魅了されていった時、既に一世を風靡したマリア・カラスやレナータ・テバルティはいなかった。
だが、なんと幸せなことであろうか、我々にはグルベローヴァ様がいた。
初めて彼女の歌声を生で聴いた公演のことは、忘れられない。驚愕驚嘆、脳天を撃ち抜かれたかのような衝撃体験だった。(1987年10月、東京フィルとの共演、実質的なリサイタル公演)
以来、彼女の歌声を聴くために駆け付けた公演は、計22回に及ぶ。
リサイタルが6回。オペラ(コンサート形式上演含む)が16回。
国内公演が15回、海外遠征が7回。
世界の檜舞台に駆け上がる決定的なきっかけの持ち役、上記のツェルビネッタは、ウィーン、バルセロナ、そして横浜で聴いた。
1996年4月、ウィーン国立歌劇場で聴いた公演(ホルスト・シュタイン指揮)では、「偉大なる王女様」のアリアが歌い終わった後、ブラヴォーの拍手喝采が鳴り止まず、いつまでもいつまでも拍手が続き、永遠に続くのかと思ったくらい鳴り止まなくて、「うわー! すげー! すげー!」と興奮しながら、私自身もずっと拍手を贈り続けたことを覚えている。
残念ながらとてもこれまでに鑑賞したすべての公演を振り返っていられないが、2008年以降については、その感想をこのブログに収めているし、グル様個人への思いを書き連ねた記事も、何度かアップしている。
検索していただければ、一人の演奏家に対するものとしてこれ以上無いくらいの絶賛に溢れているものばかりであることが、お分かりいただけると思う。
彼女は大の親日家でもあった。
お花見を楽しみにされて、桜が開花する4月初旬のタイミングで来日公演出来るように関係者に所望したという噂を聞いたことがある。
長年の功績を称えられて皇居に招かれ、当時の天皇皇后両陛下の御前で歌を披露したことを「生涯の名誉」と語ったというエピソードも、聞いたことがある。
私はアーティストにサインを貰おうとしない人間だが、例外で、これまでにたったの二人だけ、サインを頂こうと楽屋入り口を訪れたことがある。
一人がヒルデガルド・ベーレンス様。そしてもう一人がエディタ・グルベローヴァ様。
写真をご覧になってほしい。上記のウィーン国立歌劇場公演の終演後である。
終演後お疲れのところであるはずなのに、彼女はサインをする際、一人一人に笑顔を振り向けていた。その麗しいお姿に見惚れながら、私は「なんて素敵な人だ!」と感動したことも思い出す。
偉大なるグル様が天国に召されたのはとても悲しいが、一方で、寂しさを払拭させられるものを私は持っている。
鑑賞した22公演は、すべてが一生の宝物。上に書いたような個人エピソードを含め、彼女の思い出は永久永遠。それに、いつでも録音録画で彼女の至高の芸術に触れることだって出来る。
おそらく今後、自分にとって彼女を超えるような存在の歌手は、たぶん現れないと思う。
別に現れなくてもいい。十分なのだ。
自分のクラシック・オペラ愛好人生に寄り添ってくれた不世出の歌手、そして女神。
その喜びと幸せを噛み締めながら、私はこれからももう少しだけ生き、オペラを観続けていく。