2002年5月1日 UEFAチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグ第2試合
レアル・マドリード 対 FCバルセロナ
マドリードとバルセロナの対立構造は、例えば東京と大阪のような「ライバル関係にある二大都市のいがみ合い」という単純説明で片付けることが出来ない。
特にバルセロナ側にとって、オリジナル言語を持つ民族の尊厳に関わる問題であり、抑圧された歴史の問題であり、独立国家を目指す政治的な問題である。我々のような平和な単一民族の想像を絶するくらい、複雑で根深いマターだ。
レアル対バルサの直接対決が、他のダービーマッチとは比べ物にならないくらいヒートアップし、世界中の注目を浴びるのは、そうした事情による。これはフットボールという名を借りた代理戦争なのだ。
ということで、マドリードとバルセロナの人々にとっては、単なるゲームと位置付けられない重要な決戦だが、一方で純粋なフットボールファンにとっては、エル・クラシコは夢であり、芸術であり、憧れの舞台である。世界最高のプレーヤーたちが織りなす極上のプレーが、眩いほどにフィールドを輝かせる。
いよいよ沸騰の時がやって来た。
ボルテージは最高潮に達した。情熱の国の誇り高きマタドールたちよ、さあ、踊れ!
驚いた。信じられなかった。「何なんだ、コイツら?」と思った。
目の前のフィールドには、煌めくようなスター選手たちが縦横無尽に駆け巡り、ため息が出るほどのプレーを見せつけている。一瞬たりとも目が離せないはずだ。
だというのに、私の周りの連中は試合を見ていない。視線が、体の向きが、別の方向を向いている。
実は、私のすぐ近くの角エリアに、緩衝スペースとアクリル製仕切り板によって隔絶されたアウェイのバルササポーターが陣取っていた。周囲のレアルサポーターは、試合そっちのけで、その連中と挑発や罵り合戦を激しく繰り広げていたのだ。
相手サポが応援歌を歌えば、野次や口笛、指笛などで全力で掻き消しにかかる。
シュプレヒコールで罵声を浴びせ、汚い言葉を叫び、中指を立てて威嚇する。
相手選手がミスをしたり、ゴールを外したりした時は、「ざまーみろ、下手くそ!」と手を広げてバカにする。
時々、物(ゴミ袋とかバナナの皮とか)が飛んでくる。すかさず相手側に投げ返す。
物ならまだいい。花火や爆竹投げんじゃねえよ、バカったれ。危ねえだろ!?
あのさあ・・・。
おまえら、試合見ろよ。何しに来たんだよ。こんな凄い試合、世界中を探しても無いんだぞ?
ブーイング飛ばすなら、サポに対してじゃなくてフィールドの選手にしろよ。
私は頭を抱えた。
「バカだ、こいつら。本当にバカだ。」
でも、連中にしてみれば「おう、バカで上等じゃねえか!」ってところだろう。これは一歩も引けない喧嘩なのだ。売られた喧嘩は買う。「決して背を向けない、負け犬にはならない」という意地の張り合いなのだ。
たとえ外部の人間には到底理解不能のことであっても。
前半終了間際、レアル・マドリードの至宝、ラウール・ゴンサレスが先取点を奪った時、スタジアムが激しく揺れた。
もちろん、周りの連中が一斉にバルササポ陣営の方を向いて立ち上がり、「どうだ!見たか!ざまーみやがれ!」という挑発アクションを取ったことは言うまでもない。
これで試合は決まった。
実は、一週間前にバルサホームで行われたファーストレグで、レアルはアウェイでありながら2-0で勝利していた。情勢はレアル断然有利だったのだ。
後半、バルセロナが1点返したが、ファーストレグとの二試合トータルでレアルに及ばない。
試合終了。レアル・マドリードがついに欧州の覇権に王手をかけた。
翌日のスポーツ新聞「AS」(※)の1面を飾った写真だ。
(※中立ではなく、完全にレアルサイドに立っているマスメディアとして有名。阪神寄りの「デイリー・スポーツ」みたいな感じ)
トップの見出しは「聖イシドロ、グラスゴーへ」
聖イシドロとは、マドリードの守護聖人。
グラスゴーは、二週間後に行われる頂上対決、決勝の舞台。
チームをそこへ導いたラウールこそ、マドリードの守護聖人というわけだ。
カッコええのう、ラウール。