クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

1988/8/20 ザルツブルク音楽祭2(ウィーン・フィル)

1988年8月20日  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ザルツブルク音楽祭)  祝祭大劇場
オネゲル  オラトリオ 火刑台上のジャンヌ・ダルク
指揮  小澤征爾
合唱  ウィーン楽友協会合唱団、ザンクト・フロリアン児童合唱団
マルト・ケラージャンヌ・ダルク)、パウル・エミール・ダイバー(修道士ドミニク)、マリア・ファウスタ・ガッラミーニ(マルグリット)、ジェーン・ベルビエ(カトリーヌ)、クリスティーン・バルボー(聖処女)   他


コンチェルタンテとしての総合的な感銘度で言えば、圧倒され、胸にグッと来るものがあった。なんだかとてつもない音楽劇が上演されているんだな、という実感はひしひしと湧いた。きっとすごいコンサートだったんだと思う。

だが、いかんせん、音楽も知らず、ストーリーも知らず、目の前で展開されていることが何にも分からないという状況は、厳しかった。

仮にリブレットの内容を知っていなくても、最低限、ジャンヌ・ダルクの生涯に関する知識さえ持っていれば、「ああ、これは彼女が異端裁判にかけられ、処刑されるまでの場面を描いているんだな」とすぐにピンとくるだろう。
ところが、情けないことに、この時私はジャンヌ・ダルクについて何にも知らなかった。名前しか知らなかった。
もしかしたら学校で習ったのかもしれないが、きっと私は世界史の授業中、居眠りをしていたに違いない。

せめて、この作品の核である、ジャンヌ・ダルクと修道士ドミニクの会話が、オペラのように歌だったら・・。印象はもう少し違ったと思う。きっと音楽に集中することが出来ただろうから。
だが、いかんせんすべてセリフのため、どうにもこうにもお手上げだった。「いったい今、何をやっているの?」って感じだった。

繰り返すが、全体としては「これはきっとすごい公演だ」と感じられたのだ。
それだけに、作品を知らなかったというのは痛恨だった。

まあ、ぶっちゃけ言うと、「いやいや、オネゲルじゃなくて、もっとあるでしょうよ、例えばベートーヴェンとかブラームスとかマーラーとかさ。そういうのが聴きたかったよな、ホントはな。」みたいな感情は燻るわけである。
でも所詮、飛び込みのコンサート鑑賞なんて、こんなものなのだろう。

公演終了後、会場の外に出ようとしたところで、私は一人の紳士に声を掛けられた。ドイツ語だった。でも言っていることはシンプルだったので、容易に推察できた。

「日本の方ですかね? セイジ・オザワ、素晴らしいですね。」
「ええ、そうですね。彼は日本の誇りですよ。」(返事は英語)
日本人の自尊心をくすぐるお声掛けは嬉しかったが、もしこれが何のもどかしさもなく、巨大な感動に包まれていたら、その誇りはもっともっと満ち溢れたことだろう。


ちなみに、こうしてウィーン・フィルを振って成功を収め、自信を深めた小澤征爾は、翌年パリで、今度はオケをフランス国立管弦楽団に替え、この曲の録音を行った。CDをお持ちの方もいらっしゃるのでは? 私も当然持ってる。

更に、1993年、小澤はサイトウ・キネン・フェスティバルin松本において、演出付きの上演を行った。この頃になると私は作品をすっかり掌握していて(音楽もリブレットも)、松本に馳せ参じ、ここでようやくザルツブルクのリベンジを果たすことが出来たのであった。