相棒O君にとって、今回はミュンヘンの追憶をたどる旅だった。前回に訪れた時の懐かしい場所、おぼろげに覚えている風景の前に立ち、年月と共に色あせてくすんできた記憶の色調をもう一度原色に戻す作業だった。
それは私もよーく分かった。理解できる。お付き合いいたしましょうや。でも、「それではどこに行きたいか?」と聞いて「ガスタイク文化センター」という返事が返ってきたのには思わず笑ってしまった。と同時に、「さすが我が友」と納得した。
ガスタイク文化センターは別に観光名所でも何でもない。一般観光客はまず行かないし、知らない所である。だけど海外のオーケストラに詳しいクラシックファンならそこが何であるか知っている。そう、名門ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団のコンサートホール本拠地である。
1991年10月29日、世界中のクラシックファン垂涎、ドリームコンサートを聴くために我々はガスタイクに足を運んだ。そのコンサートとは次のとおり。
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団定期演奏会
指揮 セルジュ・チェリビダッケ
ピアノ ダニエル・バレンボイム
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
ドヴォルザーク 交響曲第9番新世界より
チケットはというと・・・無い。
日本から手紙で申し込んだところ、返事は来た。わずか3行程度のドイツ語だった。ドイツ語は分からないが、わずか3行程度に何が書いてあるかくらい容易に想像が付く。一見さんお断りってとこか。しかし諦めてはいけない。とりあえず行ってみよう。コンサート会場であるガスタイクに開演3時間前に到着。さっそくチケット売り場のおばちゃんに「今晩のチケットはありますか?」と聞いたら呆れた顔をされた。「あるわけないでしょう」
はいはい、そうでしょうね。
おばちゃんは向こう側入り口前に並んでいる列を指さした。キャンセル待ちに並べということだ。
既に3時間前の段階で約30人ほど並んでいた。これが開演1時間前になると100人近くに膨れあがった。すると主催者の係員が「約40枚ほどのキャンセルチケットを学生に販売する。」と告げた。「Oh!」と溜め息ついて列を離れる社会人達。我々も既に社会人だ。だが諦めない。だいたいドイツ人が我々のことを学生でなく社会人だと判別できるというのか。チケット販売の係員にパスポートを提示し、「スチューデント!」と訴えたら、係員は黙って頷き、カテゴリーA席の約6,000円のチケットを差し出した。料金はなんと約800円だった。我々は3時間の立ち並びを制し、賭けに勝ったのだ!O君とがっちり握手した。
開演前、一般売り出しチケットも学生用キャンセルチケットも入手できなかったたくさんのドイツ人たちが「チケット譲ってください」というカードやボードを掲げているのを見て優越感に浸った。もちろん公演は超弩級の名演であった。(※この公演はその後、映像がLDで日本でも販売された。)
このようにガスタイクは確かに我々にとってそういう懐かしく、かつ素晴らしい思い出の場所だった。
前置きが大変長くなったが、ミュンヘン二日目の朝、この懐かしい会館に到着した。
「並んだのはここらへんだっけ??」
「いや、こっちこっち」
O君は感慨にふけり、記念写真を撮っていた。そんなO君を端で見ながら、私も「今だったらとても『学生』に扮することは出来ないなあ」なんて考えつつ、当時について思いを巡らした。
ガスタイクを離れた後もO君の追憶巡りは続き、オリンピック公園、オリンピックスタジアム、ニンフェンブルグ宮殿などを訪れ、前日と同様に早めにホテルに戻って仮眠を取った。今夜は旅行前半のハイライト、グルベローヴァのノルマが控えている。