クラシック、オペラの粋を極める!

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トーキョーリングへの期待

 ついに、ついに新国立劇場ワーグナーニーベルングの指環”いわゆるトーキョーリングが再び姿を現す。
 演出家が連続上演(チクルス)を要求したにもかかわらず、「あまりにも舞台装置が巨大すぎて連続上演は不可能」とされた曰く物。「二つに分けて二年がかりで」という妥協点を得て、8年を経てようやく再演の運びとなった。実際、新国立の年間演目数はたったの10なのだから、それを一シーズンで4つやるのは確かに困難、ある意味やむを得まい。良い良い、まずはめでたしだ。

 新国立劇場が産んだ名舞台はいくつかあれど、このリングは間違いなく最高傑作の一つだ。それどころか、私は真顔で断言する。「世界最高のリングの一つだ!」と。現在も上演されている現行プロダクションの中で、例えば‘ニーベルングの指環ランキング’を行ったとしよう。私はベスト3に入ると思う。ひょっとすると堂々第1位かも!?それくらいの高評価だ。

 メッセージ性の高いこの作品であるが、このトーキョーリングが示すポイント、キーワードは、ずばり「?」(クエスチョンマーク)だ。

 「これは一体何を意味するのか?」
 「この人物はいったい誰なのか?」
 「この次にいったい何が起こるのか?」
 「結局最後はどうなるのか?」

 演出家キース・ウォーナーは、これらの鍵となるモチーフや想像力を働かせるための道具をこれでもかというくらいに仕掛けて我々観客に考えさせる。
 矢印、映画、クロスワードパズル、数学の記号、etc...。

 こちらも負けずに「ああではないか?こうではないか?」と頭を巡らす。
 「つまりはこういうことではないか?」と結論づけようとすると、ウォーナーはニヤニヤしながら「そうかもね。そうとも取れるね。でも、果たしてどうなんだろうね。」とはぐらかす。一事が万事そんな感じなのだ。

 思うのだが、結局のところ演出家自身も、あちこちに仕掛けた「??」の最終的な解答を、実は最初から用意できていなかったのではないだろうか?
 複雑な事情が絡み合う現代の世の中にあって、答えは一つに集約されるとは限らないのだ。
 事実、「全ての謎が明らかになるのでは?」と期待した「神々の黄昏」の大団円では、かなりの肩すかしを食らった。もしこれが、力及ばずに全ての最終解決案を導くことが出来なかったのではなく、最初からそんな解決案を示すつもり無く肩すかしを狙っていたとしたら、この演出家は相当の食わせ者、と同時に、とてもじゃないが敵わないあっぱれな人物だ。

 演出のことばかり書いてしまったが、歌手陣も大いに期待。新国立が生んだ人気歌手、ツィトコーワのフリッカ、楽しみですね~。それ以外にも内外のワーグナー歌手が勢揃い。

 さてと、一番心配なのは東フィル(笑)。頑張って欲しい。つい先日も素晴らしいヴェルディを演奏してくれたではないか!是非これぞワーグナーというサウンドを響かせてくれい!

 期待高まる初日の幕開けは今週末の7日。