クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2022/6/6 アルゲリッチ クレーメル コンサート

アルゲリッチ クレーメル コンサート  サントリーホール
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、ギードレ・ディルヴァナウスカイテ(チェロ)
ロボダ  ソロヴァイオリンのためのレクイエム
シルヴェストロフ  セレナード
ヴァインベルク  ヴァイオリンソナタ第5番
シューマン  子供の情景より 第1曲見知らぬ国と人々について
バッハ  イギリス組曲第3番より ガヴォット
スカルラッティ  ソナタニ短調
ショスタコーヴィチ  ピアノ三重奏曲第2番


ソビエト連邦の構成国、実質ソ連に支配されていた小国に生まれ、モスクワ音楽院で学び、ソ連代表としてチャイコフスキー国際コンクールを制覇しながら、やがてそこから独立した祖国の国籍に変わる・・。
激動の時代を駆け抜けてきたクレーメルにとって、今の世界情勢、ロシアの振る舞いは、彼の目にどのように写っているのだろう。

先日、別府で聴いたアルゲリッチの公演は、私にとって単純に「アルゲリッチを聴ける幸せ、喜び」だった。
なので、本来であれば、「今度はクレーメルアルゲリッチだぜ!」みたいなダブルのうま味で、ウキウキのはずだった。

ところが、そのクレーメルが加わったことで、公演は途端に強いメッセージ性を帯び、警鐘が鳴らされた。

クレーメルがソロで弾いた一曲目のレクイエムと二曲目のセレナードは、「今、演奏家として何ができるか?」の問いに対する彼の答えであり、同時に、「これを聴いて、あなたは何を考えるか?」という我々に対する問いであったと思う。

重くのしかかった問いだった。

私は、アルゲリッチとのデュオだったヴァインベルク作品でも、演奏を聴きながら、腕を組み、ずっとその答えを探し続けていた。近年クレーメルが頻繁に演奏するヴァインベルク。この人もまた、戦争に翻弄された作曲家であることを思い出した時、一つの答えがようやく頭に浮かんだ。

絶望・・・。

そうやって頭の中が「問いに対する答えの詮索」で埋め尽くされたことで、もはや楽しみにしていたアルゲリッチのソロ演奏さえも、ウキウキの気分で聴くことは出来なくなってしまった。
すると、別府の時には決して聴こえてこなかったアルゲリッチのメッセージが伝わってきたような気がした。

アルゲリッチのメッセージ。一言で言えば「音楽がもたらすもの」だった。

その中にはもちろん「幸せ、喜び」が含まれるが、それだけではない。
「愛」、「平和」、「希望」、「温情と慈しみ」、「多様性」、「自然体、ありのままの姿」・・・。

クレーメルからの問いに対する答えが「絶望」の一語しか浮かんでこなかったのに対し、アルゲリッチの演奏からは色々な言葉が思い浮かんだ。「音楽は一様ではなく、様々な面を包括している」ということを、彼女は端的に示していたのだ。

何だか不思議な感じがした。
アルゲリッチといえば、溢れんばかりの才能と感性で、それだけで聴き手を圧倒してきたピアニストである。そんな彼女が、今、ある意味対極的とも言えるような思慮思索を前面に押し出してメッセージを発している。

年齢を重ねたことによる円熟の到達によるものなのか。
それとも、クレーメルとのコラボレーションによって触発された影響によるものなのか。

そのどちらかかもしれないし、両方かもしれない。
いずれにしても、仮にそのことについてアルゲリッチ自身に尋ねても、彼女の答えはきっと「I don’t know」だろう。アルゲリッチの神秘性たる所以である。

2022/5/29 大分

前回別府を訪れた時は、市の中心エリアにある温泉付きのシティホテルに滞在した。
今回は、相棒のKくんが同行してくれたため、鉄輪地区にある温泉旅館に泊まった。この界隈は別府=温泉街のイメージそのまんま。街中のそこらから湯けむりが立ち昇っていて、いい感じの雰囲気が漂っている。地獄巡りのアクセスも良い。
宿は、お料理の評判が高かった老舗旅館をKくんがチョイス。日ごろから単独行動、お一人様旅行を全然厭わない自分だが、「温泉入って、旨いもん食って」という温泉の醍醐味を満喫したいのなら、やはりお連れさんと行くのが絶対的に楽しいということを改めて感じ入った次第。


コンサートの翌日。せっかくなので、帰りの飛行機を少し遅くし、地獄巡りに加えてレンタカーによるドライブ観光をすることに。天気は晴れ。数日前の天気予報では曇り時々雨みたいな感じだったが、当日は見事に好転。絶好のドライブ日和となった。(もし雨だったら、お猿さんで有名な高崎山自然動物園見学になるところだった。)

旅館をチェックアウト後、最初に訪れたのが、別府温泉街を見渡せる「湯けむり展望台」。街のあちこちから立ち昇る湯けむりの景観を望めるという事前情報だったが、行ってみたら「湯けむりが出ている所もチラホラ見える」程度のショボさ。ちょっと期待ハズレ。ただし、山々を背景にした街の景色は、まあ悪くはない。


次は、くじゅう連山に向かっていく「やまなみハイウェイ」。日本の道100選にも選ばれているという快適ドライブルート。

このやまなみハイウェイの最高地点にある牧ノ戸峠に行くという想定で、グーグルマップに表示された「やまなみハイウェイ展望台」をナビ目的地設定。
その峠付近に差し掛かると、駐車場や路肩スペースに車がぎっしり停車していて、いかにも目的地っぽい。
「あれ? ここじゃね??」
運転している私はKくんに確認するが、ナビゲーション担当のKくんは「いや。ナビ上ではここではなく、もう少し先になっている。」と返答。
そうこうするうちに、峠は越え、道は下り坂に。
「いやー、違うんじゃないかなー」などと呟きながらアクセルを踏むこと数分。ついにナビが「目的地に到着しました」と音声アナウンス。そこは、阿蘇方面を展望できる小さな駐車スペース。

「ここ? なのか? これがやまなみハイウェイ展望台?」
事前の想定とは少々違ったが、Kくんは「ナビのせいではない。単なる勘違いでしょ。グーグル様は正しい。」と実に素っ気なく、容赦ない。はいはい、そのとおりですよ。

もっとも予定どおり牧ノ戸峠に行こうとしたら、混んでいて車を停めるのにも時間がかかり、大変だったかもしれない。そういう意味で、結果オーライだったということにしよう。


来た道を引き返し、別府にリターン。昼食後、別府観光のハイライト、地獄巡り。

地獄と呼ばれるスポットはあちこちに点在しているが、そのうち「地獄組合」なるものに加盟している7つの地獄を巡るのが観光定番となっていて、共通割引券も売られている。
あちこちに旅しているKくんだが、別府の地獄巡りは今回が初めてとのこと。私も前回3つ巡ったが、4つが未踏だった。これで埋め合わせが出来た。

この地獄巡り、面白いと思うかどうか、期待どおりか期待ハズレかどうかは、人それぞれだろう。
それでも特色の異なる7つのスポットを制覇すれば、はるばる別府にやってきた満足感はきっと得られるに違いない。

2022/5/28 別府アルゲリッチ音楽祭

2022年5月28日   別府アルゲリッチ音楽祭  iichiko総合文化センター
室内楽コンサート
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)、大宮臨太郎(ヴァイオリン)、坂口弦太郎(ヴィオラ)、市寛也(チェロ)
シューマン  子供の情景より 第1曲見知らぬ国と人々について
バッハ  パルティータ第2番
バッハ  ゴルトベルク変奏曲(シトコヴィツキによる弦楽三重奏版)
ベートーヴェン  ピアノ四重奏曲第3番


ちょっとしたトラブルもあって、会場入りが結構ギリになってしまい、公演当日の主催者発表もろくに確認せずに着席。
すると、演奏前にまず音楽祭総合プロデューサーの伊藤京子さんが登場し、ご挨拶があって、その中に「プログラムも変更になってしまい、申し訳ございません・・・」という一言が。

ん?? プログラムの変更? なにそれ。

伊藤さんの挨拶後に登場した演奏者は、当初予定されていた弦楽三重奏の皆さんではなく、なんとアルゲリッチ・・。 ん!?
「そうか、プログラムの曲順が変更になったのね・・」

アルゲリッチはピアノに向かうと、まず「子供の情景」を弾き始めた。
「あら? アルゲリッチのソロ演奏曲は、バッハじゃなくてシューマンだったんだ・・・」

そうかぁー・・・と思いながら聴いていたら、第1曲だけ弾いた後、今度はすぐにパルティータ第2番を弾き始めた。

「?????」
いったいステージ上で何が起こっているのか、まったくわからず、混乱。
何だか分からないが、とにかくアルゲリッチ姐さんは、シューマンの1曲とパルティータを弾いた。
何だか分からないが、当初予定「子供の情景‘または’パルティータ第2番」だったのが、「子供の情景の1曲‘と’パルティータ第2番」に変更になった。

これは、アルゲリッチ姐さんのソロを聴く機会が稀で貴重な機会という中、「さらに1曲追加になってラッキー」ということなのだろうか。ま、そういうことで、良かったということにしよう。


3年ぶりのアルゲリッチ
ステージに現れた足取りは、やっぱりちょっと「年取った」感じがする。
そりゃそうだろう。80歳なのだ。6月5日には81歳になるのだ。我々は彼女のことをピアノ界の神様として奉っているが、実は人間なのだ。当たり前だが。

自分にとって33年ぶりに聴くアルゲリッチのソロ(※正規のプログラムとして)。
「これって、すごいことなんだよな」「今、すごく貴重な機会に接ししているんだよな」などと思いながら、全力で目と耳をステージに傾ける。


アルゲリッチがコンサートで弾くのは、どれも「いつも弾いている曲」ばかり。
だから、完成されている。引き出しの中からサッと取り出して披露するかのような安定感が目立つ。
逆に言えば、新鮮な感じはしない。冷蔵庫から取り出した料理の品をレンジで温め直したような既成感。
普通に捉えれば、もしかしたら若干の物足りなさを覚えるかもしれない。

だが、そうならない。決して。
理由はただ一つ。
なぜなら「アルゲリッチ」だから。
希少価値、そして唯一無二、世界でアルゲリッチだけの絶対的な孤高の領域。
こうしたものが、聴衆を惹きつけ、圧倒する。
上に「実は人間」と書いたが、アルゲリッチはやっぱり神様なのだ。


既成感ではなく鮮度で言うなら、ベートーヴェン「ピアノ四重奏曲」で、彼女の演奏は突如のごとく「水を得た魚」となる。
弦楽演奏の上に乗っかるピアノのなんと快活なこと! ステージからあたかも風が吹いてきて、皮膚に伝わってくるかのよう。

なるほど・・。そういうことなのだ。
ようやくわかった。なぜ彼女がソロを弾かず、デュオや室内楽、コンチェルトに固執するのかが。
音楽ファンは彼女のソロを何としても聴きたいと願うが、彼女自身はこうした共演の中でこそ自分のピアノが輝くことを悟っているのだ。たぶん本能的に。


一通りのプログラムが終了した後、実は第二部として大分県民栄誉賞の贈呈式が予定されていたが、私と相棒のKくんはそそくさと会場を後にした。その日宿泊する温泉旅館のチェックイン時間が迫っていたためだ。
ネットの情報によれば、彼女は栄誉賞贈呈の答礼として、追加でバッハのイギリス組曲の中から1曲をその場で演奏披露したとのこと。

本来なら、アルゲリッチの貴重なソロ演奏を一つ逃したことになる。
だが、アルゲリッチの演奏がある意味ソロよりも室内楽において輝いていた事実を目撃してしまった以上、わたし的にはもうそれで十分だった。

2022/5/27 日本フィル

2022年5月27日   日本フィルハーモニー交響楽団   サントリーホール
指揮  カーチュン・ウォン
務川慧悟(ピアノ)、三宅理恵(ソプラノ)
伊福部昭   ピアノと管弦楽のための「リトミカ・オスティナータ」
マーラー   交響曲第4番


一曲目の伊福部昭の作品。
彼の作品に精通しているわけではないし、この曲も初めて聴いたが、概して伊福部昭の作品は耳に馴染みやすく、楽しく聴けて良い。(ゴジラのイメージが大きいか?)
現代音楽にありがちな不協和音のオンパレードでは決してなく、更には作曲家が曲の中に込めたメッセージも明確で、しっかり心に伝わってくる。
ただし、この曲に関して言えば、リズムやメロディーが同じような展開を繰り返すパターンが目立ち、なんだか執拗的だ。結果、長く感じられる。もっとコンパクトにすれば、印象の度合いが増すのではないだろうか。
ピアノの務川さんは、普通に好演。


メインのマーラーは、カーチュン・ウォンが昨年12月に振った5番がとても良かったので、期待した。

カーチュン・ウォンが才能のある良い指揮者だということは、その昨年12月の公演を聴いてすぐにわかったし、疑いようがない。日本フィルが次期首席指揮者として彼と契約したのは、素晴らしい選択だと思う。
今回の4番でも、仕上がりが作品の細部に至るまで非常に念入りで、それを自信をもってタクトで表現している。繊細なところは繊細に、大胆なところは大胆にといった描き分けも見事。
惜しむらくは、日本フィルの演奏の精度が今回はイマイチだった。消化不良を起こしているような印象。これは残念。

まあいい。これから共演の回を重ねるごとにコンビネーションは改善していくだろう。
そうした期待を抱かせるに十分な演奏ではあった。

アルゲリッチ 2022

別府アルゲリッチ音楽祭が無事開幕し、3年ぶりにアルゲリッチのピアノ演奏が大分の地で鳴り響いたようだ。
その前に、既に東京公演と水戸公演も先行で開催されていて、シューマンのピアノ協奏曲を披露している。私はこれらには行かなかったが、すっかり聴衆を魅了した模様で、嬉しいニュース。今度の28日(土)の大分公演、それから6月6日(月)のクレーメルとのデュオコンサート(サントリーホール)に駆け付ける予定。

今年のアルゲリッチスペシャルと言っていい。
それは、大分でも、それからクレーメルとのデュオ公演でも、それぞれにアルゲリッチのソロ演奏のプログラムが組まれているからである。

周知のとおり、アルゲリッチはもう随分と昔から、ソロを弾かない演奏家になっている。
コンサートは、コンチェルトか、デュオリサイタルか、室内楽のみ。「単独ソロ・リサイタルを聴きたい」という聴衆の夢、願いは決して叶えられない。

しかし、稀に、コンサートの中で、ほんの一部ソロを弾くことがある。滅多にないことだが。
(コンチェルトの後、アンコールでソロの小品を弾いたこともある。)
過去の別府音楽祭では、そうしたプログラムが組まれたことが何度かあって、地元ファンを狂喜させた一方、遠方のため駆けつけられないファンは地団駄を踏んだものだ。

私自身、正規のコンサートのプログラム(アンコールとかでなく)でアルゲリッチのソロを聴いたのは、これまでにたったの1回しかない。
1989年9月。スイスのモントルー・ヴェヴェイ音楽祭。なんと単独のソロ・リサイタル。
このコンサートを目的として訪れたのではなく、ツェルマット(スイスアルプス)に行こうとしてジュネーブから途中モントルーに立ち寄ったら、偶然公演をやっていた。なんというラッキー。

そういうわけで、今回は33年ぶり、日本でアルゲリッチの正規プロのソロを聴く大チャンスの到来なのだ。しかも、そのチャンスが2度ある。

もっとも、披露してくれるのは、何度も演奏している得意の作品ばかり。ある意味ワンパターン。目新しさはまったくないが、文句は言えない。ソロを弾いてくれるだけで十分に「ありがたや」というわけだ。

ちなみに、演奏曲は事前に発表されていない。大分・別府では「シューマンの『子供の情景』か、またはバッハの『パルティータ第2番』」。クレーメルとの公演では「曲目未定」。
22日の別府公演では、当日になってもなお何を弾くか会場で知らされず、アルゲリッチが実際にステージに登場して演奏して、そこで初めて聴衆は「バッハか!!」と知ったとのこと。

なんじゃそりゃ! 信じられん。そんなのありかよ。
普通ならあり得ないが、アルゲリッチ様なら「有」なのである。
なぜなら、アルゲリッチ様は神様だからだ。
神様なら何でもあり。決して文句を言ってはいけまへん。

果たして今度の28日は、シューマン、バッハ、どっちを弾くのか??
22日と同じバッハなのか、それとも「次は違う曲」ということで、シューマンなのか。

うーん、楽しみである。
個人的には、「子供の情景」よりも「パルティータ第2番」の方が好きなので、そっちをやってほしいが・・・おっといけねえ、神様におねだりをしてはいけないのであった。

2022/5/22 東京フィル

2022年5月22日   東京フィルハーモニー交響楽団   オーチャードホール
指揮  チョン・ミョンフン
フォーレ  組曲ペレアスとメリザンド
ラヴェル  ダフニスとクロエ第二組曲、ラ・ヴァルス
ドビュッシー  交響詩 海


チョン・ミョンフンはソウル生まれの韓国人だが、幼少期に家族とアメリカに移住し、そのまま国籍も取得。チャイコフスキー国際コンクールアメリカ代表として出場しているので、私はてっきりアメリカ在住の人なのかと思っていた。
そしたら、聞いた話によれば、彼はパリ在住なんだってさ。東京フィルを振るために来日するのも、大抵はパリからやって来るそうだ。
まあ確かに明らかに欧州での活動が顕著だし、パリ・オペラ座やフランス放送フィルなどの音楽監督を歴任、フランス語も堪能だから、パリに住み、そこを活動拠点にするのは理に適っている。

そうしたことを念頭に置くと、今回のフランス物プログラムは、いわば彼のフィールドであり、ある意味お手の物と言えるのかもしれない。フランスを拠点にして活動する指揮者であれば、そこで見ている日常の景色は、間違いなく音楽観形成に影響を及ぼすだろうし、フランス作品の解釈においてヒントも得やすいだろうからだ。


ということで、果たしてチョン氏が振る音楽の中に、いわゆるフランスらしいエスプリが聴こえてくるのか興味津々だったが、正直に言うと、そういう印象はあまり得られなかった。

悪いという意味ではない。おそらくチョンは、ドビュッシーラヴェルの演奏にあたり、オケに対し「フランスっぽさ」を求めていない。
要求しているのはイメージではなく、演奏の精度や高い音楽性の凝縮だ。それは、別にドビュッシーラヴェルに限らず、常に、どの作曲家の作品においてもそう。アプローチは一緒である。

チョン・ミョンフンの頭の中には、氏自身の理想の響きというのが存在している。そして、ひたすらそれを追求している。彼のリハはかなり厳しいという噂だが、それは理想の響きの構築に対し、一切の妥協を許さないからだろう。

それ故、彼が振ると、東京フィルの演奏水準が一段上がる。オーケストラの集中力が他の指揮者の時とは明らかに異なり、奏者全員がチョン・ミョンフンの目指す先に向かって邁進する。
この光景は美しい。こうした有様を目の当たりに出来るのは、聴衆として本当に素晴らしい体験だ。


「フランスらしいエスプリは聴こえてこなかった」と書いたが、特にドビュッシー「海」では、楽器の鳴らせ方やバランスが精妙で、鮮やかな交響詩にすっかり魅了された。フランスっぽいかどうかは別にして、「こういう演奏をすると、ドビュッシーの作品が圧倒的に輝くよな」という、まさにお手本のような秀演だったと思う。

2022/5/21 新国立 オルフェオとエウリディーチェ

2022年5月21日   新国立劇場
グルック  オルフェオとエウリディーチェ
指揮  鈴木優人
演出  勅使川原三郎
管弦楽  東京フィルハーモニー交響楽団
ローレンス・ザッゾ(オルフェオ)、ヴァルダ・ウィルソン(エウリディーチェ)、三宅理恵(アモーレ)


演出に日本を代表するダンサー兼振付師の勅使川原三郎を起用し、更にハンブルク・バレエのプリンシパルであるアレクサンドル・リアプコも迎えてのプロダクションということで、注目されていた公演。
特にリアプコはバレエ界ではその名を轟かせている第一人者のようで、ネット界隈でも「リアプコが来る!!」と結構話題になっていた。

残念ながらバレエにそれほど興味が無い私にとっては、本公演はあくまでもグルックのオペラの鑑賞。私自身、バロック音楽は積極的に聴くというほどでもないが、それでも新国立劇場がなかなか上演しようとしないことに対しては、いささか物足りなさを覚えていた。この秋にはヘンデルの「ジュリオ・チェーザレ」(延期公演)も予定されているし、もっともっと鑑賞機会が増えてほしいと願う。


そういうことで、あくまでもグルックの音楽に着目するに当たり、本公演の指揮として鈴木優人さんを起用したことは成功と言えるだろう。モダンオーケストラの演奏をバロック様式に変換するには、やはりバロック音楽に通じた人でないと、なかなか上手くいかないと思う。音楽はきめ細やかにまとめ上げられ、開放的かつシャープ。いつもの新国立のピットの中から、鮮やかなバロック音楽が聴こえる。しかも、演奏しているのは、あのいつもの東京フィル。
なんとも言えず不思議な感覚でありながら、それでも心地よい調べに酔った。

主役のオルフェオとエウリディーチェの両外国人キャストも素晴らしい。特に、オルフェオのザッゾが素晴らしい。これぞカウンター・テナーという歌唱。スペシャリストらしく、「さすが慣れているな」という印象だ。


演出について、であるが・・。
勅使川原さんの起用ということで、「まあどうせ、こんな舞台になるだろう」という予想が出来てしまい、で、笑ってしまうくらい予想どおりの舞台だった。

バレエのダンサーや振付師が演出すると、もうほぼ100%思惑が「舞台に踊りをどのように当てはめるか」に注がれることになる。つまりコラボレーションが全てであり、それ以上がない。作品の新たな視点の創出だったり、解釈に基づく斬新な展開というのがない。
もちろんダンスを挿入することで、そこに歌だけでは見えてこない心情表現が視覚的に表出される面白さはあるわけで、それこそが狙いなのだろうが、「結局そこまでなんだろうな」と感じてしまう。

バレエの振付ではなくオペラの演出を見たかった、というのは望みすぎなのだろうか・・・。