クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2021/12/27、28 愛知室内オーケストラ 特別演奏会

2021年12月27日、28日   愛知室内オーケストラ   紀尾井ホール
ゲルハルト・オピッツ ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲演奏会
指揮  ユベール・スダーン
12月27日
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第2番、第1番、第3番
12月28日
ベートーヴェン  第4番、ピアノ協奏曲(ヴァイオリン協奏曲編曲版)、第5番「皇帝」


そういえば、昨年の12月もオピッツ聴いたっけ。フェドセーエフの追っかけで広島に行き、新幹線で帰京後、自宅に戻らずに直接コンサートホールに駆け付けたのだった。その時もプログラムはベートーヴェン
外国人の入国は困難で、そんな中でも来日してくれたオピッツをありがたく拝聴したわけだ。

あれからちょうど一年・・。
国内の感染状況は若干落ち着いているとはいえ、パンデミックは依然として続いている。
むしろクラシック界にとっては、外国人の入国が全面禁止になってしまった今の方が一層厳しく、深刻だ。
世界的な外国人演奏家の演奏を聴くことが出来ない今、禁止措置前に入国することが出来たオピッツをまた聴ける幸運。しかも、同じく禁止措置前に入国し、滞在延長による代演要請を快く引き受けたスダーンの指揮で。
年の聴き納めとして、これ以上にふさわしい締めはない。


スペシャリストと言っても過言ではないオピッツのベートーヴェンは、今さら新たな発見みたいなものはない。名人の至芸を堪能、それだけである。
淡々かつ悠然と演奏しているように見えるし、そこに押し付けがましさは皆無であるゆえ、一見、演奏家としての主張に乏しいと感じるかもしれない。
だが、その演奏には温もりがあり、優しさがあり、作品に寄り添う奥ゆかしさがある。
主張しなくてもちゃんと伝わる。じわーんと滲み出るかのように感じる。
それはオピッツの人柄そのもの。
そんな仏様みたいなピアニスト。それがオピッツ。


対照的に、アグレッシブに作品の深層をえぐるのが指揮のスダーンだ。
伴奏であるオーケストラの演奏の中に、ベクトルがはっきりと見える。目指すべき到達点、スダーンが考えるベートーヴェン像を明確に提示し、オーケストラをそこに導いている。

そんなスダーンのアグレッシブな伴奏に、泰然としたオピッツのソロが乗っかると、ちゃんとブレンドしていい塩梅になる絶妙のコンビネーション。これがコンチェルトの醍醐味というわけか。面白いねえ。


最後にACO、愛知室内オーケストラについて。
最後に、なんてゴメン。元々本公演はACOの主催公演なんだよね。
初日の一曲目の第2番はちょっと硬かったか。でも、徐々に音に潤いが出てきたし、気合いも発揮されて、全体的に好演だったと思う。

でもさあ、プログラムと一緒に配布されたチラシのほとんどが本拠地名古屋のしらかわホールの公演案内だったというのは、ちょっとねえ(笑)。
名古屋に来いってか?

豊嶋泰嗣

先日、西宮でバルトークを聴かせた豊嶋泰嗣さんは、私と同世代。このあたりの年代では、同じヴァイオリニストの漆原啓子さん、指揮者の飯森範親さん、ピアニストの仲道郁代さんなどがいる。漆原さんと豊嶋さんは、その昔、ハレー・ストリング・カルテットという弦楽四重奏団を組んで演奏活動を共にしていたことがある。

正確に言うと、豊嶋さんは私よりも一つ上。その豊嶋さんのことを私が初めて知ったエピソードがあるので、紹介したい。

私が大学時代に管弦楽部に所属してヴァイオリンを弾いていたということは、これまでにも何度もブログ記事で書いているので、御存知の方も多いはず。
その大学管弦楽部では、定期演奏会など自主公演を行うにあたり、人数面と演奏技術面の両方の補完のため、エキストラ(賛助出演)を呼んでいた。主に弦楽器パートで、ヴァイオリンでは桐朋学園大学のヴァイオリン専攻生にお世話になっていた。
定期的に来てもらっていたし、私自身が大学3年の時、2nd Vnのパートリーダーを務めたこともあったので、とある桐朋のエキストラの方と顔馴染みになり、やがて気さくに話せる間柄にもなった。
ちなみに、その御方(女性 Uさんと呼ぶことにする)は、プロの道に進み、現在も某在京オケのヴァイオリン・トゥッティ奏者として活躍中である。


ある時、私はUさんに尋ねた。
「今、桐朋のヴァイオリン専攻の中で、『実力抜群』『将来有望』って人、いるの?」

Uさんは即答した。
「豊嶋くん! 彼はすごいわよ。同期のダントツナンバーワンね。」

「なになに? Uさんよりも上手いわけ?」
「あたしなんか彼の足元にも及ばないわよ。全然違う。悲しいけど才能の差は歴然ね。」
「ふーん、そうなんだ。」

この時、私の頭の中に初めて「トヨシマ」という人物の名前がインプットされた。


翌年の春。
桐朋学園大学4年生の卒業演奏会なるものに行くことになった。Uさんから招待された。
この卒業演奏会が、桐朋においてどういう位置付けの公演なのかは、よく知らない。
みんなが受ける卒業試験なのか、それとも成績優秀の選ばれし者による卒業記念公演なのか。
何日かに分かれていて、私が行った日はヴァイオリンだけ、結構な人数が出演して長時間に渡っていたから、もしかしたら卒業試験的なものかもしれない。
いずれにしても、一般公開でホールのステージに立ち、演奏を披露する。演奏曲目は各自が選んだ協奏曲で、伴奏はオケではなくピアノ。

私が行ったのはあくまでもUさんの応援が目的だったので、出演者全員の演奏を聴くつもりはなく、Uさんの出演時間に合わせて会場入りし、終わったらとっとと引き揚げようとしていた。

当日、会場でプログラムを貰うと、最後の演奏者、いわゆるトリを務める人物に、その名はあった。
「豊嶋泰嗣」

おお! 彼だ! Uさんが「ダントツ!」と話していた豊嶋さんだ!

食指が動き、思わず最後まで残って、彼の演奏を聴いたのであった。

その豊嶋さんが、この公演、つまり卒業演奏で何のコンチェルトを採り上げたのか、どんな演奏だったのかについて、何を隠そうはっきりと覚えていない。(大昔のことなんでね。)
はっきりと覚えていないが・・・多分「バルトークの協奏曲第2番」だったんじゃないか、というのが私のおぼろげな記憶だ。
なぜ肝心なことを覚えていないかというと、当時、私はバルトークのこの曲を知らなかったのである。だから印象に残らなかった。知っていれば、きっと記憶に残ったと思う。

その他の桐朋卒業生ヴァイオリニストたちは、ブラームスとかシベリウスとかブルッフとか、いわゆる王道の協奏曲を選んでいた人が多かった。
そんな中、豊嶋さんの選曲、私が知らないマニアックな協奏曲というのは、何だか一人だけ別格感を漂わせていた。「さすがトリを飾る人物!」と感嘆したことははっきりと覚えている。

もし私の記憶が間違っておらず、その曲がバルトークだったのであれば、それはすなわち先日の「デビュー35周年特別演奏会」のメイン曲と同じ。つまり、彼は学生時からバルトークを極め、勝負曲として35年間一貫して保持してきたということだ。


うーん、何だかこの曖昧な記憶を正確に確認したい衝動に駆られてしまうが・・・。
本人に直撃インタビューできるはずもなく・・・。

誰かこの演奏会について知っている人、いませんか??
いたら教えてちょーだい(笑)。

2021/12/18 日本センチュリー響

2021年12月18日   日本センチュリー交響楽団豊中名曲シリーズ》   豊中市立文化芸術センター
指揮  横山奏
合唱  日本センチュリー合唱団
石橋栄実(ソプラノ)、片桐直樹(バリトン
ワーグナー  ジークフリート牧歌
ドビュッシー(カプレ編)  組曲子供の領分
フォーレ  レクイエム


せっかく大阪方面に遠征するんだから他に何かやってないかと探し、そして見つけたコンサート。
日本センチュリーは、旧大阪センチュリー時代に、びわ湖ホールオペラ「サロメ」公演のピットオケとして聴いたことがあるが、オーケストラ公演で聴くのは初めて。今年は福岡で九響、山形で山響も聴いたし、「こうなりゃ何だって聴くぜ」ってなもんだ。

それに、メインがフォーレクていうのがいいじゃんか。この時期はどこも第9だろうに。
そもそも調べてみたのだが、このオケのスケジュールの中に第9公演が、なんと無いのである。
意外。12月の第9って、プロオケにとってドル箱なんじゃないの?

ま、別にいいけど。第9だったら私は行かなかっただろうし。これはこれでなかなかいいプログラムですよ。

そのフォーレク、1893年のジョン・ラター校訂版で、普段一般的に演奏され我々の耳に馴染んでいる物ではない版を使用。この点においても、選択のこだわりが感じられる。オリジナルのとおりヴァイオリンパートが省略され(ヴィオラ首席がコンマス)、編成も小さく室内楽的になり、個性的で面白い演奏になった。

横山さん指揮の演奏も、私は初めてである。
若い指揮者だと力が有り余っているので、ついエネルギッシュな演奏になりがちだが、今回はプログラムがどれも素朴な曲なので、のどかで優しく、味わいのある演奏だ。その分、インパクトが隠れてしまいがちになるが、上記のフォーレらしさのこだわりと、合唱を含めて手堅くまとめ上げる手腕はしっかり見せつけた、という感じ。


最後に、演奏とは関係ないことで恐縮だが、一言。
実は前日のPAC管もそうだったが、当日に配布されるプログラム冊子は、他日公演のチラシと一緒にビニールの袋に詰められ、それがお客さんに配られる。
こういう風にチラシとセットでプログラムを配る主催団体は別に珍しいわけじゃなく、結構ありがちなパターンではある。だから、そのこと自体は別にいい。
ただし、私なんかはプログラム一冊だけあればよくて、同封されているチラシはすべて不要。よって、チラシ返却ボックスにお返しするか、もしくはゴミ箱に捨てたい。

ところが、会場の豊中市立文化芸術センターホール、ロビーのどこにもこうしたボックスやゴミ箱が見当たらない。完全に撤去されている。トイレの中にも無いんだ。これには閉口した。
二期会ニューウェーブ公演のめぐろパーシモンホールもそうだったな)

確かに、今、公衆の場においてゴミ箱は撤去され、ゴミは自分で持ち帰れっていう世の中だ。
だけどさ、チラシは自分で持ってきた物じゃないんだぜ? 私のように「プログラムはほしいけど、チラシは要らない」という人は、じゃあどうしたらいいのさ? 押し付けで袋に詰め込んだ物を無理やり受け取らせ、返品不可で持ち帰らせるってのは、一体どうなのよ!?

宣伝したい気持ちはわからんでもないが、色々なお客さんがいるんだから、もうちょっと考えろって。

2021/12/18 大阪

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こんにちは~ こんにちは~ ♫(三波春夫

ヤバい。頭の中でメロディーがループし、止まらない。誰か止めてくれ~。

 

1970年大阪万博エキスポ。半世紀も昔かー。
わたくし、小学1年生でござった。当時、TVニュースで盛んに報じられていたから、「何かやってんだなー」みたいに、子供ながらに思い眺めていた。その映像の断片は今も脳裏に残っている。
特に、その前年にアポロ11号が初めて月面着陸したということで、その時に持ち帰った「月の石」がアメリカのパビリオンで展示され、見学のためにめちゃくちゃ長い行列(数時間待ち)を作っていた様子は、記憶が鮮明だ。

アホくさ、たかが「石ころ」だぜ!?(笑)

そうじゃなくても、来場者による混雑はすさまじく、どこのパビリオンもとにかく人、人、列、列・・・。

まあ確かに、当時にしてみればすごいイベント、オリンピック並みのプロジェクトだったんだろう。海外旅行は庶民にとってまだまだ手の届かない時代だったのだろうから、世界各国の文化紹介展示や最先端技術紹介展示を日本に居ながらにして見学できるとあっては、人々が殺到するのも無理はないわな。
もっとも、もし俺が当時の人間だったとしたら、まず一瞬行きたいという衝動に駆られ、次に凄まじい混雑のニュースを耳にして、あっさりと断念したに違いない。並ぶのが嫌いな人間だからね(笑)。

現代だったら、日時指定の事前ネット予約になるだろう。当時はそこまで発達していなかったからな。


万博のシンボル、岡本太郎の「太陽の塔」。

初めて生で見ました。
写真とか映像とかで見るよりも、はるかに大きく、そしてカッコいい。今なら私もはっきりと断言できる。これはシンボルというより、明らかな芸術作品だ。さすが「芸術は爆発だ!」の岡本さん。

平成30年の耐震工事完了と併せて塔の内部見学が復活(予約制)。これがまた実にアート。

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万博の各出店施設は終了後に取り壊されたが、その内の一つであった「鉄鋼館」が残され、記念館として有料展示されている。当時の記録や博覧会の様子など残っている映像と共に紹介されていて、非常に興味深い。

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また、ホワイエスペースで「プレイバック1970~大阪万博のあった時代」と銘打った期間限定企画展が開催中。当時を知る人間にとって非常に懐かしいレトログッズが並んでいて、これまた興味深い。


公園内は、豊かな木々に囲まれ、絶好のお散歩スポットだが、さすがに冬はちょっとシーズンじゃないな。春から初夏にかけて訪れたら、さぞや気持ちよく過ごせるだろう。

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2021/12/17 兵庫芸術文化センター管(豊嶋泰嗣デビュー35周年特別演奏会)

2021年12月17日  兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会  兵庫県立芸術文化センター
《デビュー35周年 豊嶋泰嗣 バルトークを弾く!》
指揮  広上淳一
豊嶋泰嗣(ヴァイオリン、ヴィオラ
バルトーク  ヴァイオリン協奏曲第1番、ヴィオラ協奏曲
モーツァルト  後宮からの逃走序曲
バルトーク  ヴァイオリン協奏曲第2番


ピアニストの場合、プロとしての演奏活動は、基本ソロである。
これが弦楽器や管楽器の奏者だと、「オーケストラプレーヤー」という選択肢が生まれてくる。特に、実力的に抜きん出ている優秀なヴァイオリン奏者だったら、更に「コンサートマスター」という花形リーダーの道も出てくる。

ソリストでやっていくとオーケストラの合奏に参加することが出来ないが(コンチェルトを除く)、コンマスならオーケストラをやりつつ、ソロも室内楽も並行してできる。活動の幅は格段に広がるだろう。あえて難があるとすれば、プロオーケストラの数は限定されているので、コンマスの枠が非常に狭き門だということか。

本公演のソリスト豊嶋泰嗣さんは、そうした人生の道を切り開き、自らの演奏家ストーリーを描いてきた。
桐朋学園大卒業後、すぐに新日本フィルコンサートマスターに就任。その後もサイトウ・キネン・オーケストラ九州交響楽団、そしてこの兵庫芸術文化センター管などのコンマスも歴任してきた豊嶋氏。まさに日本のコンマスの第一人者であり、なおかつ屈指のヴァイオリニストの一人と言えよう。
 
そんな彼がデビュー35周年記念としてPAC管をバックにコンチェルトを弾く公演。
プログラムはびっくり仰天、なんとバルトークのヴァイオリンとヴィオラのコンチェルト3曲を一挙に弾いてしまうという驚愕の離れ業だ。

このぶっ飛んだスペシャル企画に私は惹かれ、はるばる埼玉から聴きにやってきた。
バルトーク作品を一挙に聴けるという魅力もさることながら、一人の優秀なコンサートマスターというヴァイオリニストの果敢なチャレンジをも目の当たりにすることも出来、味わえた興奮は大きい。

私は2005年にシュロモ・ミンツが東響の定期公演でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番とヴィオラ協奏曲の2曲を連続で弾いたのを聴いた。その時も「へー、すごいや」と思ったものだが、それが今回は3曲なのである。
いやいや、めっちゃ大変でしょう。
そもそもヴァイオリンとヴィオラの掛け持ち自体が、大変な作業なのである。トランペットとホルンの両方を演奏するようなもの。感覚は全然違う。この日の指揮者広上さんもマイクで「大谷翔平みたいなもの」と紹介していた。ある意味そのとおりだと思う。
 
通して聴いてみると、集中力が漲った渾身の演奏。緊張していた感は多少見受けられたが、3曲すべてが完成度の高い立派な演奏であった。
特に、ヴィオラの朗々とした響きは本当に美しくて魅力的だったし、難曲コンチェルト2番は鬼気迫るかのような壮絶さが表現されていて、本当に素晴らしかった。改めて豊嶋さんの実力に唸ったと同時に、このヴァイオリン奏者の生き様、哲学、信念、すべてを見せつけられたようで、圧倒された。
 
この日、ハープ奏者の吉野直子さんが友情出演。指揮の広上さん共々長年の音楽同士だそうで、公演に華を添えていた。

まあとにかく、すごいもの聴かせていただきました。大変お疲れ様。

2021/12/17 西宮

まーた西宮・大阪に来ちゃったぜ。
なにかい、先月PAC管を聴きに来て、すっかりハマっちゃったってか??
なんてな・・。

今回の目的、もちろん先月と同様にPAC管のコンサートだが、チケットを買ったのは先月のユベール・スダーン指揮の公演と同時。つまり、最初から二ヶ月連続でここに来ることが決まっていたわけである。

とはいえ、これまで年に4回ペースで海外に出掛けていた頃は、遠方の国内オケを聴くために泊りがけ旅行することなんて、ほとんどなかった。コロナで海外に行けなくなり、そこからわずか一年の間に、広島、金沢、鹿児島、名古屋、滋賀、山形、大阪など、立て続けに行きまくっている。

せめてもの替わりを国内旅行に求め、以前と同じように日常から離れる気分を味わいたい。こういう気持ちはきっと自分の中にある。そういう意味では確かにハマっていると言えるのかもしれないな。
結局、単に旅行好きということなのかもね。


前回と同様、今回もLCCのピーチ往復便を利用した。往復航空券が片道新幹線代よりも安いというのは、捨てがたい。
前回は、関空到着早々、想定していたターミナルと違ってバタバタした。今回は落ち着いて行動。人間というのは経験して学習するわけですな。

観光としては、musikanさんが以前にコメントで紹介してくれた西宮神社を訪れてみた。
何を隠そう、musikanさんのそのコメント「えべっさん」というのが当初分からなくて、思わずググった。そうか、福の神えびす様をお祀りする神社の総本社だったのですね。

それより何より、今や1月の風物詩とも言われ、毎年ニュースに採り上げられる「福男選び」の開門ダッシュ、あれを行う場所だということを知って、驚いた。

そうかー、ここだったのかー。

その年の福男を目指すため、「我こそは」という韋駄天どもが参加。徹夜で並び、午前6時の開門と同時にヨーイドンとなる駆けっこ。途中のカーブを上手に曲がり切れずに転倒する輩が続出しながらも、必死にゴールを目指す様子の面白さ、スリリングさ、そしてバカバカしさ。嗚呼、なんて平和なニッポン(笑)。

ここからスタートし

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ここを全力疾走し

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ここになだれ込む

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訪れてみたら、意外と距離は短かった。まさに短距離走


続いて訪れたのは、阪急西宮ガーデンズ
現在は非常にオシャレな大型ショッピングモールだが、かつてこの場所には西宮球場があった。オリックスバッファローズの前身、阪急ブレーブスの本拠地。

この阪急西宮ガーデンズ5階にギャラリースペースがあって、そこに、1983年当時のスタジアム付近のジオラマ模型や、阪急ブレーブスで活躍した往年の選手のレリーフ、トロフィーなど貴重な展示品が公開されている。

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阪急ブレーブスは、私が中学1、2年くらいの時、黄金期だった。
日本シリーズ、夢中になって見たなあ。
名将上田利治監督、284勝のアンダースロー山田投手、「立ちションできない」と国民栄誉賞辞退した福本選手、首位打者加藤秀司選手・・・スター軍団だったなあ。あの頃の国民の娯楽といえば、相撲とプロ野球くらいしかなかったなあ。
懐かしい・・・。ワシも年取った。

2021/12/14 東京音楽大学シンフォニーオーケストラ

2021年12月14日   東京音楽大学シンフォニーオーケストラ   東京芸術劇場
指揮  ユベール・スダーン
モーツァルト  ディヴェルティメントニ長調
ヒンデミット  吹奏楽のための変ロ調
ブラームス  交響曲第2番


11月内に来日したことで、入国制限による締め出しを無事に免れたスダーン先生。そのおかげで、兵庫芸術文化センター管弦楽団に続き、またこうして大先生のタクトによる公演を聴くことが出来たのは、とても幸い。
スダーンはその間にも代役を引き受けて大阪フィルを指揮。更になんと年末まで滞在を延長し、愛知室内オーケストラとG・オピッツ共演の特別演奏会の代演指揮まで引き受けてしまった。
完全に救世主! ちょうど昨年のヴァイグレと同じような感じだね。

私自身、その救世主様様を何だか追っかけ回しているみたいだが、何を隠そう本公演に目を付けたきっかけは、「指揮者がスダーンだから」ではなかった。ぶっちゃけスダーンじゃなくても多分チケットを買ったと思う。(もちろん、「指揮がスダーン」というのが大きなポイントだったというのはある。)

本公演に駆けつけた目的は、ヒンデミットである。交響曲変ロ調。
高校生の時、ブラスバンド部でこの曲を演奏したことがあった。必死に練習し、この曲を引っ提げてコンクールに挑み、そして虚しく散った。思い出深い作品なのだ。
にも関わらず、実演で聴いたことはこれまでに皆無。
ヒンデミット作品自体がなかなか聴けないわけだが、その中でも更にレア。正直、本公演を逃したら次いつ聴くチャンスがあるか分からない。もしかしたら、もう二度と無いかもしれない。
私にとって、一期一会だったのだ。

そしてもう一つのポイント、東京音楽大学シンフォニーオーケストラ。通称Sオケ。その実力と程度についてである。

音大とは言えど、所詮彼らは学生団体。私が日ごろから追いかけ、お金を払っているプロオケではない。
で、私が日ごろから追いかけているプロオケというのは、音大の中でも更に優秀な成績で卒業し、厳しいオーディションを勝ち抜いてポジションを得た実力者集団だ。彼らは、技術的に上手いとかそういうことでなく、常に演奏の質と真価が問われている。
そういう意味で、「セミプロ」、「プロのタマゴ」の演奏にどれだけの商品価値があるのか、そこらへんは評価の分かれるところかもしれない。鑑賞のポイントとして、是非見極めておきたい。
(私は一度、別府アルゲリッチ音楽祭で、彼らの演奏を聴いているが・・)

先に結論を言うと、学生とはいえ、優秀な器楽演奏能力を持っている彼らの合奏は、十分に「The Classic」である。全体的にちょっと線が細い感じはするが、本格的な演奏を聴いた充実感は得られる。
それに、たとえアカデミーであっても、偉大なカリスマ指揮者の導きによって驚異的な演奏が生まれることを、我々はムーティ指揮の東京・春・祭特別オーケストラ公演で目のあたりにし、経験として知っている。ある意味東京音大生にとっては、スダーンはムーティに匹敵するカリスマ。ならば素晴らしい演奏は、約束されたようなものである。


一曲ずつ振り返ってみよう。
まずモーツァルト。いきなりこの一曲目でゾクゾクしてしまった。
合奏が一つの方向性にがっちりと導かれていたのだ。音楽性の統一が隅々まで図られ、一糸乱れぬアンサンブルで音楽を構築していく様は、見事と言うほかなかった。しかも、色彩的な表現力まで備わっている。
ああ、さすがスダーンだな、と感心した。

次、ヒンデミット
自分たちは高校生の時、こんなにも複雑で難しい曲にチャレンジしたのかという、今さらながらの驚嘆。
いや驚嘆とより、呆れたというか・・・。なんつうか、無茶というか無謀というか(笑)。

最後、ブラ2。
これも興味深かった。モーツァルトでは指揮者が絶大な統率力を発揮して音楽を引き出していたのに対し、ブラームスでは一転してオーケストラの自発的な音を求め、「あなたたちのブラームスとは一体何なのか」について、厳しく問い質していたのだ。
重要なのは、言われたとおりに弾くのではなく、自ら考えて表現すること。スダーンはそのことをタクトを通じて教示していたわけである。

本番に至るまで、どのような練習が行われたのかは知る由もない。
しかし、密度の濃いリハーサルが行われていたことが一目瞭然の本番だった。やっぱりスダーンは凄い先生だ。