クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2020/2/24 アンネ・ゾフィー・ムター リサイタル

2020年2月24日   アンネ・ゾフィー・ムター ヴァイオリン・リサイタル  サントリーホール
アンネ・ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)、ランバート・オルキス(ピアノ)
ベートーヴェン  ヴァイオリン・ソナタ第4番、第5番「春」、第9番「クロイツェル」


ムター、また一つ階段を登ったな。そして、新たな領域に入ろうとしているな。

何度もムターの演奏会に行っているが、これが今回のリサイタルを聴いて感じたことだ。

多くの人が彼女のことを「ヴァイオリン界の女王」と呼ぶ。私もそう見ていた。
それは、近年、彼女には女王と呼ぶに相応しい風格と、高貴な美しさが備わっていたからだ。
演奏は鋭敏で研ぎ澄まされ、眩しい。そこにはオーラがあり、品格があった。
と同時に、それらは威厳を伴い、ある種、近寄りがたいほどでもあった。

今回のリサイタルの演奏には、そうした「近寄りがたいほどの威厳」が消えていたのだ。

決してやわになったわけではない。集中力も、燃焼性も、すべてを作品に捧げる献身性も、いつもどおり最大限である。

ただそこに、泰然として、大きくて、包容力のあるベートーヴェンがあったのだ。母の愛を感じるような優しいベートーヴェンだったのだ。

以上のような兆しは、もっと分かりやすく、ピアノ奏者オルキスとの掛け合いの中に見て取れる。
その間柄は、ソロと伴奏、女王様と執事、みたいな主従関係ではなく、もはやなんだか絶妙に溶け込んだ夫婦みたいだった。(アンコール演奏の時も、ムターが曲の紹介を客席に向かって語りかけると、オルキスがそこに程よく合いの手を入れて、会場を沸かせていた。)

そんな穏やかな優しさを見せつけたムターを、あえて女王様と呼ばないのなら、いったい何と形容すればいいだろう。

「円熟の域に到達しようとしている名匠」

そんなことを言ったら、彼女に「そんなに年取っていないわよ!」と怒られそう。
でも、なんだか私には、かつて「皇帝」と称されて君臨し、音楽を絶対的に支配していたが、近年は円熟の境地に達し、悠然とタクトを振っている‘あの’指揮者とかぶって見える。

‘あの’指揮者というのは、そうよ、もちろん‘あの’指揮者のことよ。私の大好きな指揮者。言わずもがな。
だから、「円熟」というのは、最大級の褒め言葉ですってば、ムターさん。

アンネ・ゾフィー・ムター

アンネ・ゾフィー・ムターが来日中だ。私も明日、リサイタルに行く予定である。
いいタイミングなので、彼女の思い出について書いてみたい。

私はムターと同世代だ。自分の人生におけるクラシック音楽の愛好歴と、彼女の世界的活躍歴は、ほぼ重なる。
だから、ムターは私にとって、現役最高でありながら、常にずっと身近なヴァイオリニストであり続けている。

実を言うと、デビュー時からいきなり目を付けたわけではない。
天才少女の才能を見抜き、大抜擢したのがカラヤンだったことは、当然のごとく耳に入ってきた。カラヤンが指揮をしたデビュー盤のモーツァルトの協奏曲第3番第5番、その次のベートーヴェンの協奏曲のレコードは、発売と同時に日本でも大きく話題になった。

だが、私はそこに飛びつかなかった。なんだか商業的な胡散臭さを感じ取り、警戒したのだ。

人というのは、いつの時代も、新たな若き才能の出現を歓迎する。そして、そこに必ず、群がって商魂を働かせる人がいる。
単なる話題先行なんじゃないか?

早まって手を出す必要はない。早まらなくても、既に名声を確立させた実力派ヴァイオリニストがたくさんいるではないか。
例えば、アイザック・スターンとか、パールマンとか、メニューインとか。
自分のわずかなお小遣いで買うべきレコードは、彼らの演奏だ。
そもそもベートーヴェンの協奏曲なんて、10代の女の子が弾く曲じゃないだろう。

高校生にしては、我ながらいっちょまえな持論だったと思う。
聴いて確かめもせずに物申すだけの生意気な小僧だったというべきか・・・。

その演奏に衝撃を受けたのは、その次の録音、メンデルスゾーンブルッフのコンチェルトだった。
大学1年生の時。友人宅で聴かせてもらった。その友人は、ムターを絶賛していた。
私も驚いた。
「天才というのは本当だったのか・・・。」

その翌年のこと。
1984年、ムターは日本にやってきた。初来日は既に果たしていて、確か3度目くらいだったと思うが、生で聴いたのはこの時が初めてだった。
4月29日、N響特別演奏会でブルッフの協奏曲。5月16日、同じくN響定期演奏会プロコフィエフの協奏曲第1番。指揮はいずれもサヴァリッシュだった。
プロコの方はあまり感心しなかった(と記憶している)が、ブルッフは最高だった。
この時初めて見たムターは、早熟の天才少女というよりは、ちょっとプクプクしたおてんば娘という感じだった。

次にムターを聴いたのは、4年後の1988年。
私は社会人2年生になっていた。その夏、稼いだお金で人生初のヨーロッパ遠征に出かけた。(以後ずっと続いていく私の海外詣では、ここから始まった。)

訪れたのは、ザルツブルク。(スイスアルプスとか、ルツェルンとか、ブレゲンツとか、色々巡ったうちの一つが、ザルツだったわけ。夏に行くなら、ここはやっぱ外せないでしょ。)

音楽祭目当てでありながら、滞在期間中に何をやっているか事前に調べず・・(ていうか、その当時はプログラムを事前に調べる手段は、個人としては限られていたわけで・・)、でも「当然何かやっているだろう」と、勇んで飛び込んだチケットオフィス。
購入したのが、オーストリア放送交響楽団(現ウィーン放送交響楽団)のコンサートだった。
現代作曲家ルトスワフスキの指揮による自作自演コンサート。
新作「チェーンⅡ、チェーンⅢ」という、ヴァイオリンとオーケストラのための作品の演奏のために、ルトスワフスキソリストとして選び招いた奏者が、ムターだった。

この時の座席は、なんと、最前列だった。(たまたま買えたチケットの席の場所がそこだった。)
ステージを見上げた自分の目の前に、ムターが立っていた。

実は、この時の演奏そのものについては、記憶から薄れかけている。もう随分と昔のことだ。
それよりも何よりもはっきりと覚えていること。
それは、25歳になったムターの美貌であった。あまりの美しさに思わず息を呑み、凝り固まるくらいに釘付けになった。
わずか4年という歳月は、プクプクしたおてんば娘から、女優のように麗しい香りが沸き立つレディーに変貌させたのだ。
「うっわーーーー。すっげー美人・・・」
私は見惚れてしまった。

最初に、「ムターは私にとって、常に身近なヴァイオリニストであり続けている」と書いた。
お恥ずかしい話だが、それはすなわち「ザルツブルクで、その眩い美しさに引き寄せられて以来、ずっと」ということなのだ。

ピアノ界の女王アルゲリッチは、もうすっかりお婆ちゃんになった今も、そのお姿といい演奏といい、艶のある美しさが備わったまま一向に失われていない。
そんなアルゲリッチと同様、ムターも、年齢なんか関係なく、これからもずっと美しさと気品を兼ね備えたヴァイオリン界の女王に居続けることであろう。

2020/2/9 ヴォツェック

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2020年2月9日  チューリッヒ歌劇場
ベルク  ヴォツェック
指揮  ハルトムート・ヘンヒェン
演出  アンドレアス・ホモキ
クリスティアン・ゲアハーヘル(ヴォツェック)、ダニエル・ブレンナ(鼓手長)、イアイン・ミルネ(大尉)、イェンス・ラルセン(医者)、グン・ブリット・バークミン(マリー)、イレーネ・フリードリ(マルグリート)   他


午後2時開演の「フィデリオ」に続き、午後8時半開演のダブルヘッダー
別会場を使用せず、同一の劇場でシーズンを通して定期的に二本立て上演を行っているのは、実は世界的に希少なのである。私のような海外に出向くオペラマニアにとっては、一石二鳥のありがたい劇場だ。
だからといって、調子づいて連続鑑賞すると、それはそれでさすがに疲れるもの。(もう若くないしさ。)
ラッキーなことに、今回の「フィデリオ」と「ヴォツェック」は作品が長大ではなく、しかも休憩なしの一幕物上演だったため、全然疲れず、楽勝だった。
(ちなみに、前日の「トーリードのイフィジェニー」も、休憩なしの一幕物であった。)

これら3つの公演に共通していたことがもう一つあって、3つとも同じ演出家であった。

ホモキはこの劇場のインテンダントを務めているため、ここで彼の演出版が多くなるのは、いわば必然。こうして連続して観ると、3つの中に彼の特徴の共通性を見つけることも出来るし、作品ごとの独自性を見つけることも出来る。これはなかなか興味深いことであった。

このホモキ版「ヴォツェック」は映像収録されていて、DVDなどで視聴することが出来る。ご覧になった方もいらっしゃるだろう。
舞台にはパネルの木枠のようなものが設定され、その枠の中で登場人物が演技を行う。枠は、時に開閉して劇場の幕のような役割を果たし、時に多層的に重ねて複合的な構造の舞台を見せる。(基本的に平面的だが、枠を多層的に重ねる時、奥行き感が広がる。)

この枠の意味するところ、あるいはどのように捉えるかについては、観る人によって解釈が異なるかもしれない。
もちろん、そうした観る側の受け取り方の多様性、想像の広がりというのは、演出家の望むところでもあろう。

私には、紙芝居、あるいはマリオネット劇場の舞台のように見える。
登場人物の衣装や化粧も、非常にけばけばしい。デフォルメを強調し、紙芝居劇や人形劇にありがちな戯画的要素を盛り込んでいるのだ。

ヴォツェック」の上演では、現実感が漂うシリアス性を打ち出すような演出がある。
一方で、ホモキはその逆、荒唐無稽、物語の虚構性に目を向け、的を絞っている。
そのどちらにも、切り口から生じる効果があり、ホモキの狙いは成功していると思った。

ヘンヒェンの指揮による「ヴォツェック」を鑑賞するのは、これで3回目だ。日本でも、2009年11月新国立劇場で彼は振っている。
つまり、あっちこっちで振っているのだろう。相当にお手の物と見受ける。
実際、彼の音楽を聴いて、ベルクらしい複雑さや難解さが全然感じられない。視界良好、整然とした分かりやすいヴォツェック。これは、過去の感想と共通する。

出演歌手は皆それぞれの特異なキャラクターを、体を張って演じ、「荒唐無稽」「虚構」という演出の要請に見事に応えている。
特に、マリー役のバークミンが熱演。歌唱もダイナミックで、聴衆に強烈なインパクトを刻み込む。
対照的にヴォツェック役のゲアハーヘルは、ひたすら丁寧かつ真摯な歌唱に徹している印象。意図的なのかどうかはわからないが、そうした歌い方が純朴さを醸し出し、ヴォツェックという社会的弱者の悲劇性をいっそう増幅させることに結び付いている。そういう意味で、これ以上ない適役だ。

ゲアハーヘルは、本当にいい歌手。日本ではドイツ・リート歌いの名手として名高い一方、オペラ公演では来日して舞台に立ったことがないのではないか。(自分の記憶にないだけなので、あったらごめん。)
C・バルトリもそうだが、日本ではなかなかオペラで聴けない歌手を劇場で観ることができるのも、海外ならでは。わざわざ出かけていく価値が、そこにあるわけだ。

ということで、やっぱ海外に行かなくっちゃ。

時々困難にぶち当たるんだけどね(笑)。

2020/2/9 フィデリオ

2020年2月9日   チューリッヒ歌劇場
ベートーヴェン  フィデリオ
指揮  マルクス・ポシュナー
演出  アンドレアス・ホモキ
オリヴァー・ヴィドマー(ドン・フェルナンド)、ヴォルフガング・コッホ(ドン・ピツァロ)、アンドレアス・シャーガー(フロレスタン)、エンマ・ベル(レオノーレ)、ディミートリ・イヴァシュチェンコ(ロッコ)   他


仰天の幕開けだった。オペラは、いきなり物語のクライマックスに突入した。
フロレスタンが殺されようとした瞬間にレオノーレが飛び出し、ドン・ピツァロと対決する場面。最大の見せ場をいきなり冒頭に持ってくる唐突さ。
普通にフィデリオ序曲が演奏されると思っていたので、不意を突かれた。だが、インパクトは絶大だ。観客の目を一気に惹き付ける劇的なドラマトゥルギー

ドン・ピツァロがフロレスタンとレオノーレの二人にピストルを向けたところで、大臣の到着を知らせるトランペットのファンファーレが鳴り響く。ご存知、レオノーレ序曲第3番の中にもあるモチーフである。
すると、なんとそのまま一気にレオノーレ序曲第3番のオーケストラ演奏へ。その演奏の間に、物語を振り出しのヤッキーノとマルツェリーネのやりとりの場面に戻していく・・・。

なるほどー、そうきましたか・・。へぇぇ~。

舞台装置はほとんど何も無し。閉鎖空間を作る箱の中で物語は進行し、時折り背面の壁がパカンと開閉する。セリフもほぼ全カット。
ベートーヴェンの音楽、出演歌手の歌、登場人物の演技だけという構成に、オペラ全体がキュッと引き締まる。必然的に音楽がすべての中心となり、観客は物語の有り様を想像力で補いながら、舞台に集中する。スペクタクルな舞台装置という見た目でごまかそうとせず、オペラの原点に立ち返り、その魅力に迫る。
シンプルさの追求で演出上の密度を高めつつ、音楽との相乗効果を上げた演出家ホモキの狙いは完璧にはまった。見事な舞台だ。

音楽が中心である以上、上演の成否のカギを歌手が握っていると言っても、決して過言ではない。
今回、ハイレベルの歌手が揃ったのは大きい。
「揃った」ではなく、「揃えた」と言うべきか。劇場は抜かりがない。

コンサート形式上演の際によく言われることだが、ちゃんとした歌手が揃い、指揮者ががっちりサポートし、オーケストラをまとめ上げれば、オペラというのは黙っていても完成する。まさにそのことを地で行き、証した公演である。

特に、コッホ、シャーガー、ヴィドマー、イヴァシュチェンコらの錚々たる男性歌手陣が、凄まじい。
レオノーレ役のベルは、当初キャストであったA・カンペの代役だったが、健闘はしていたものの、重唱などのアンサンブルではちょっとバランスが悪い。
ただ、私はこれまでにロンドンで「マイスタージンガー」のエヴァ、「タンホイザー」のエリーザベト、ケルンで「アラベッラ」タイトル・ロールを聴いているが、着実に成長していると感じる。イギリス人だが、本格的なドイツ系歌手の道を歩んでいることを確証した。

ポシュナーが指揮する公演を鑑賞したのは初めてだったが、手堅く、そして広がりのあるベートーヴェンの音楽を構築していたのは好印象だった。

ただ、もう一度言うが、この日はやっぱり男性歌手陣。実に強力だった。

ミレッラ・フレーニ

旅行中、いくつか訃報が入ってきた。
ネッロ・サンティミレッラ・フレーニ。クラシック関連じゃないけど野村克也さんも・・。
サンティはチューリッヒで亡くなったそうだ。ここの歌劇場との繋がりは深い。劇場チケットオフィスの窓口に、写真と共に彼の訃報の告知紙が貼ってあった。

フレーニが亡くなったというニュースは、ショックだった。
私がクラシック音楽に目覚めたのは中学生の時だったが(ただし小学生の頃から親に聴かされていたが)、オペラに目覚めたのはもっとずっと後。社会人1年目くらいだった。
オペラのCDをぼちぼち聴き始め、やがて貪るように聴くようになったその当時、イタリアオペラ界に君臨していた絶対的女王が、ミレッラ・フレーニだった。

その頃、私はマリア・カラスレナータ・テバルディの録音は、あまり聴かなかった。古めかしい録音が音質的に好きじゃなかったから。
なので、私のヴェルディプッチーニの名盤コレクションの主役は、たいていフレーニだった。

中でもお気に入りは、カラヤン指揮の「蝶々夫人」。同じくカラヤンとの「アイーダ」や「ドン・カルロ」、あるいはムーティスカラ座と録音した「エルナーニ」や「運命の力」なども捨てがたい。
それだけでなく、オテロのデズデモナも、ファルスタッフのアリーチェも、トスカも、彼女の歌はどれもこれも、すべて全部素晴らしい。偉大なディーヴァ、歴史に名を刻む名歌手だったと思う。

世間一般では、フレーニといえば「ボエーム」のミミ。
1988年にスカラ座が来日し、クライバーがボエームを振った時のミミは、フレーニだった。
空前の公演だったというのに、この時私は、別の演目「ナブッコ」(ムーティ指揮)に行き、聴き逃した。これは私の人生における痛恨のミスと言っていい。
(「ナブッコ」の方に行ったことがミスなのではない。「ナブッコ」と「ボエーム」の両方に行かなかったことがミス。もっとも、薄給リーマンだったので、複数行く余裕は全然なかったのだが。)

痛恨はこれだけではない。
1986年ウィーン国立歌劇場来日公演で、シノーポリ指揮「マノン・レスコー」にもフレーニは出演した。この時も「超が付く名演」と騒がれたのに、私は聴き逃した。この時私は、まだオペラの入門の扉を叩いていなかった。
ああ、もう少し早く開眼していれば・・・。残念極まりない。

「ボエーム」のミミに関して言うと、その後フレーニは1999年の藤原歌劇団の公演に出演するため来日。これを鑑賞して、なんとかリベンジを果たした。(今では考えられないことだが、当時の藤原歌劇団は、このように主催公演に世界的な歌手をゲストで招いていた。)

1993年と98年のボローニャ市立歌劇場来日公演も、印象深い。
特に98年は、なかなか上演されないジョルダーノの「フェドーラ」。舞台に登場したのは、フレーニとカレーラスという2大スーパースター。まさに夢の共演だった。

この98年来日公演では、ヴェルディドン・カルロ」も来日演目になっていて、フレーニは出演しなかったが、旦那であるギャウロフがキャストに名を連ねた。
その公演会場(神奈川県民ホール)で、私は彼女を目撃した。

オフ日だったフレーニがお忍びで本公演を鑑賞するため、開演直前に客席に現れた。彼女は、なんと、私の3列くらい前のやや斜めの席に陣取った。
私だけでなく、周辺の観客がすぐに気が付き、ざわついた。(そりゃ、びっくりするわなぁ。)

その瞬間、誰からともなく、拍手が沸き起こった。
客席のあちこちの観客が「ん? 何事?」と振り向いて御来賓のお姿を見つけると、瞬く間に拍手が会場全体に広がった。
当のフレーニさんは、最初は照れくさそうに座っていたが、もうこうなったら答礼するしかない。立ち上がり、そして小さく手を振った。

その様子のすべてを、私は近くから食い入るように見つめていた。

フレーニとの直接的な思い出。まぶたに焼き付いているシーンだ。

2020/2/10 魔の試練 その2

続き。

足止めを食らったスイス・バーゼル駅で、必死に考えを巡らした結果、まず決めたこと。
それは、ドレスデン行きを取り止めることだった。

帰国のフライトは、ドレスデンからフランクフルト経由の羽田行きとなっている。
なので、本来なら、オペラが観られる観られないに関係なく、とにかくドレスデンに行き、そこから帰国をスタートさせなければならない。
だが、そうではなく、ドレスデンに行かずにフランクフルトを目指した方がいい。そう思った。

「予約していた二区間のうち、ドレスデンからフランクフルトの一区間フライトをぶっ飛ばす。」
バーゼルでの最初の決断。
ドレスデンまでの道のりは遠い。仮に嵐が収まって電車が動き、ドレスデンに辿り着けたとしても、到着は夜遅くなるだろう。もしかしたら深夜になるかもしれない。
そうやってなんとかドレスデンに行ったとしても、本日のフライトが大幅に乱れたことを受け、運行への影響が翌日にまで及ぶ可能性があるんじゃないか? その時、ドレスデンからのフランクフルト経由で、羽田行きに確実に乗り継げるという保証は、いったいどこにある??

そこらへん、もうちょっと詳細に説明しようか。
飛行機の運行というのは、必ず「行って、帰ってくる」という往復になっているのをご存知か。
私が「ドレスデンからフランクフルトまで」という飛行機に乗る時、その前に必ず「フランクフルトからドレスデンまで」というフライトが存在している。ドレスデンから乗るためには、まず飛行機がフランクフルトから来ていなければならない。自分が乗る片道だけの問題だけではないのだ。
だから、フランクフルトから飛行機が飛んで来なければ、ドレスデン出発便はキャンセルになる。フランクフルトからの飛行機の到着が遅れれば、ドレスデン出発便も遅れる。
今回、嵐によりこれだけフライトスケジュールが乱れれば、たとえ翌日であってもその影響を受ける可能性がある。

帰国のためドレスデン出発便に乗るにあたり、その前にフランクフルトからの飛行機が本当に定時運行でやって来るのか?

 

確実に乗り継げるという保証はないと考えたのは、つまり、そういうこと。これ、真っ当な判断なのだ。

そうは言っても、私の航空券は「変更不可」という条件付き。勝手に「一区間をぶっ飛ばす」のは、相応のリスクを伴う。
調整が必要だ。今は非常事態。ルフトハンザ航空もきっと理解し、柔軟に応じてくれるはず。きっと・・・。

次。
それでは、どうやってフランクフルトに移動するか・・。

チューリッヒ空港にとんぼ返りし、フランクフルト行きの夕方以降のフライトについて、再アレンジメントを試みるか?(私はキャンセルとなったデュッセルドルフ行きの仮ボーディングパスをまだ手に持っている)

それとも、同じくチューリッヒ空港のルフトハンザ・デスクで、明日の帰国便を「ドレスデン→フランクフルト→羽田」から「チューリッヒ→フランクフルト→羽田」に変更してもらい、本日はチューリッヒに泊まるか?

あるいは、ここバーゼルで、状況の改善を期待しながら、とにかくひたすらじっと待って、鉄道移動にこだわるか?

暴風雨が一日中ずっと続くとは思えない。日本にやってくる台風だって、数時間経てば過ぎ去るパターンが多いだろう。もし過ぎ去るのであれば、せっかくバーゼルまで来た以上、わざわざチューリッヒに戻る必要はないし、戻りたくもない。

どうする??
悩む。悩んだ。
悩んだ挙げ句の結論は、「とりあえずしばらく様子を見よう」だった。
約2時間、バーゼル駅構内の待合室でじっと待機。
正午になった。状況は一向に変わる気配がない・・。

「鉄道運行の再開見込み」という情報が一切なく、どうなるのか分からない闇の世界の不安を抱えながら、ただひたすら待つというのは、なんと苦しく辛いことか・・。拷問のような2時間だった。

悪魔の試練に耐えきれなくなった私。その私の脳裏に、ついにもう一つの選択肢が浮かんだ。

「長距離バス」

バーゼルからフランクフルトまでの長距離バスがそもそも存在するのか、そんなことは全く知る由もない。
だが、幸いにも私は文明の利器を片手に持っている。

検索。そしてヒット!
12時45分バーゼル発。わお!今から30分後ではないか! で、予約できる座席はまだ残っている。

これだ! これにしよう! これしか無い!
雷雲から光明が差した瞬間だった。

チケットは、やはりオンラインで買えた。35ユーロ(約4千円)。これまたすぐにメールでQRコード付電子チケットが端末に送られてきた。
(もう一度言おう。「なんて便利な世の中なんだ!」)

これで、せっかく購入したドレスデンまでの2万円の鉄道チケット代の大半をドブに捨てることになった。ムカつく。ムカつくが、背に腹は代えられない。これまた、呑気に払い戻し手続きをやっている暇はないのだ。

フランクフルト到着は午後7時予定とのこと。
7時かよ!時間がかかるなあ・・・。

だが、上に書いたとおり、どうなるか分からない状況下でひたすら待つことの方が、わたし的には辛かった。どんなに時間がかかっても、午後7時にフランクフルトに到着できる、そっちの安心の方が大きかったのだ。

定刻にバスはやってきた。バーゼルを出発、スイスを脱出。フランクフルトまで6時間もかかるのは、直行ではなく、主要都市の各駅のバス停を停車していくためだった。
道中、なるほど確かに風が強い。でも、車の運行に支障をきたすほどではない。雨はほとんど降っていない。嵐は確実に過ぎ去り、弱まっているのだろう。

予定どおり、午後7時にフランクフルトに到着した。長かった~。
しかし、まだまだやるべきことがある。
先に述べたとおり、帰国フライトの調整が必要だ。

「既に、フランクフルト-羽田間のフライトを当初の予約で持っているんだろ? それで乗ればいいだけなんじゃないの?」

チッチッチッ。違う。甘いね。

区間のうち一区間だけをキャンセルするということは、すなわち自分の予約全体の変更に該当するということだ。そもそも変更不可の格安航空券。きちんと調整を図らないと、フランクフルト-羽田間のフライトも自動的にキャンセルされてしまう。
これが格安航空券のリスクであり、落とし穴であり、恐ろしさでもある。

すぐにフランクフルト国際空港に向かい、ルフトハンザのサービスセンターへ。
乱れに乱れたドイツ国内のフライト。この時間になってもセンターに押しかけている客はまだたくさんいて、順番待ちを約1時間強いられた。はぁ~・・やれやれ・・。
ようやく対応してくれた担当者に、事情を説明。担当者は私の苦境を理解し、快く予約変更に応じてくれた。
(ここで「変更できません」と言われたら、私はバッタリ倒れて死ぬところだった。)

午後9時。ミッション、コンプリート。
いや、正確に言うと、まだ終わっていない。最後の一仕事、それは今晩のフランクフルトのホテル確保だ。これまた携帯端末からホテルの検索サイトで一発簡単予約。

ちなみに、ドレスデンのホテルは当日ドタキャンのため、宿泊代は100%チャージ。返金なし。さらに新たな予約によって、宿泊代がダブル加算になった。

ああ・・・なんてこった・・・。この日、いったいいくら余計な金がかかった??
恐ろしい。もう嫌だ。考えたくもない・・・。

でも、これでようやく明日、帰国できる。
長かった一日。疲れた。マジ疲れた。だけど、なんだかホッとした。

マイスタージンガーを聴けなかった悔しさは、もう消え失せていた。それどころじゃなかったもんな、うん。
よし、このまま完全に記憶からデリートしてしまおう。今回の旅行は、チューリッヒで3つのオペラを観、それで完了した。
バルトリ様御出演のオペラ、観られたんだぜ!? 良かっただろ!? 満足だろ!?
フィデリオだって良かったよな? ヴォツェックだって良かったよな? な? な?
必死に自らに言い聞かせた。

空港からSバーンでフランクフルト中央駅に戻った。駅構内の電光掲示板で、午後9時45分時点の鉄道運行状況を確認してみた。ダイヤはすっかり回復。強風も、いつの間にか収まっている。
どうやら嵐は完全に過ぎ去り、ドイツに平常が戻ったようだった。
ほれ、ジークムント、ここだ。ここで歌ってくれ、例のアリアを。オレのために。ほれ!

ホテルにチェックイン。午後10時。およそ16時間の格闘に終了宣言。
さて、と。
メシ、食いに行くぞ。飲んだるわい。ガブ飲みだぜコノヤロー。くそったれめが。
最後の最後までヤケクソだった。

おわり。
久しぶりにブログ記事書き、燃えました(笑)。

 

2020/2/10 魔の試練 その1

チューリッヒのオペラの鑑賞記を後回しにして、嵐に振り回された悪戦苦闘の物語を先に書きます。

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長い長い一日は、ホテルのフロント担当者の忠告から始まった。
まだ夜が明けていない午前5時。チェックアウト手続きが終了し、バッグを持って外に出ようとすると、担当者が尋ねた。
「これからどこに向かうのですか? 空港ですか?」
「ええ、そうですけど。」
「多くのフライトがキャンセルになっているようですよ。ご注意ください。」
「は??」
悪天候トラブルです。空港に着いたら、運行スケジュール案内をよく確認してくださいね。」

悪天候って・・・。
意味が分からん。確かに外は雨がポツポツと降っていて、風も吹いているが、決して大荒れではない。この程度でフライトが乱れるなんてあり得ない。

半信半疑のまま、チューリッヒ国際空港に到着。フライトスケジュールモニターを眺め、思わず立ちすくんだ。

ホテルの人が言っていたことは本当だった・・。出発案内の電子掲示板はキャンセルの表示で、軒並み真っ赤になっていた。その中には、私の午前7時20分発ドレスデン行き便も、当然含まれている。西ヨーロッパ圏内では、北欧と南欧以外はほぼ壊滅状態だった。

携帯ネットで原因を調べた。今、欧州中部を嵐が通過している。ただし、暴風雨はアルプスの壁が遮ったため、ここチューリッヒは普通に離着陸を行っている。つまり悪天候トラブルに見舞われているのは、出発地ではなく到着地の方だった。

呆然としてはいられない。慌てて目を凝らし、案内掲示板をチェックする。どこかキャンセルになっておらず、そこからドレスデンに行けそうな場所は、はたしてあるのか?

ドイツ国内で、どういうわけか二箇所だけキャンセルになっていない都市があった。
ハンブルクデュッセルドルフである。
ハンブルクというのはなんとなく分かる。比較的近いコペンハーゲンが大丈夫だったから。
だけど、デュッセルドルフは何故セーフ?
風雲の塊が、たまたまその都市付近だけ避けてくれているのか?

よくわからないが、とにかく行けるというのならデュッセルドルフに行くしかないだろう。デュッセルに着いたら、そこから電車に乗り換え、ドレスデンに向かう。
飛行機の到着時間と中央駅までのアクセス時間をおおよそ推測し、携帯端末からドイツ鉄道DBのWEBで乗り継ぎスケジュールを調べると、うまく行けば午後4時の「マイスタージンガー」開演に間に合うことが分かった。仮にうまく行かなくても、第2幕からは余裕だろう。全部観られなかったとしても、それはもう仕方がない。緊急事態なのだ。

さっそく空港のサービスカウンターで、係の人にデュッセルドルフ行きのアレンジメントを依頼する。コンピューターのキーボードを素早く叩いた係の人は、私にこう告げた。
「その便は、残念ながら満席です。」
あっちゃーー・・・。頭を抱える私。
「でも、もしかしたらキャンセルが出るかもしれません。こうした状況ですから、出発を諦める人が出る可能性はあると思います。ウェイティング、キャンセル待ちにしてみてはいかがですか?」

こうして私は、自分の座席番号が記されていないボーディングパスを受け取った。このチケットでそのままセキュリティチェックを通過し、出発ゲートのロビーまで行くことが出来る。そこで待機しながら、搭乗の可否確認を行うように、との指示だ。

とりあえず、落ち着こう。
私は出発ゲートに向かう前に、朝食を取るためにラウンジに入った。そこでボーッと考えた。

もしかしたら・・・もしかしたら飛行機の選択は間違いだったかもしれない。すかさず電車に切り替えチューリッヒからドレスデンに向かう、という方法がベターだったかもしれない。
フライトは、ある意味、賭けだ。電車の場合、ものすごく時間がかかるが、それでもそっちの方が午後4時開演に間に合う確率が高かったかもしれない・・・。

「いやいや。」
すぐに私は首を横にブルブルと振った。
決めてしまった後の後悔はやめよう。私は焦っていたのだ。冷静な判断を瞬時に下すのは難しかったのだ。今はデュッセル行きの選択が正しかったことをひたすら祈ろう。

午前8時。そろそろキャンセル待ち状況がどうなっているか、確認するために搭乗ゲートに行ってみるか・・。
そう思って、ラウンジ内の運行モニターを覗いた、まさにその瞬間だった。
出発予定だったデュッセルドルフ、それからハンブルクのフライトが、いずれもキャンセルの赤表示にパッと切り替ったのである。

「わわわ・・・。」
驚いたが、でも、なんだか妙に納得。
そりゃそうだろう。ドイツ国内どこも軒並みキャンセルだというのに、どうしてデュッセルドルフハンブルクだけオッケーだったのか。最初から「どうもおかしい。ホントかよ??」と思っていたのだ。

腹は即座に固まった。
私はラウンジを飛び出し、そのままターミナルの出口へと向かった。もちろん、チューリッヒからドレスデンへの電車移動を目指すためだ。飛行機代の払い戻しの手続きをやっている暇はない。

歩きながら携帯端末を操作し、再びドイツ鉄道のWEBから、チューリッヒからドレスデンまでのオンラインチケットを購入。約2万円。一瞬「うぇっ、高ぇ」と思ったが、躊躇なんかしてられない。余計な出費だが、とにかく仕方がない。

QRコード付きの電子チケットが、あっという間に携帯端末に送られてきた。(それにしても、なんて便利な世の中なんだ!)

まずドイツ国境に近いバーゼルに行き、乗り換えてフランクフルトに行く。そこから再度乗り換えて、ドレスデンに向かう。
ドレスデン到着予定は、午後5時24分。第1幕は完全アウト。第2幕も結構ヤバい。それでも構うものか。第3幕だけでも聴けりゃ上等だぜ、こんちくしょうめ。
私は自棄になっていた。

午前9時50分、バーゼル到着。衝撃の事態が待っていた。

私が予約した乗り換えの10時12分発フランクフルト行きの高速列車ICEは、キャンセルとなっていた。

しかも、それだけではなかった。
それ以降も、ていうか、ドイツ方面のすべての電車がキャンセルになっていた。ぜーんぶ。

慌ててインフォメーションデスクに行くと、大勢の人に取り囲まれている担当者が、英語とドイツ語の両方で叫んでいる。
「ドイツ方面への振替調整は行っていません! すべてキャンセルです! 今後の予定も一切分かりませんっ!」
もう一度ドイツ鉄道のWEBを確認。運休はドイツ全土に渡り、大幅に乱れていることが判明した。

呆然と立ち尽くす私。命運は尽きた。ドレスデンへの道は閉ざされた。
「終わった・・・完全に終わった・・・」
こうしてクリスティアンティーレマン指揮によるザクセン州立歌劇場の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」鑑賞は、儚くも夢と散った。

しばしの間、嘆き悲しんだが、すぐに頭を切り替える。いつまでも落ち込んでなんかいられない。

冷静になって考えれば、「飛行機がダメなら鉄道で」という考え自体が非常に甘かったと言わざるを得ない。台風が直撃したら、日本だって鉄道は止まるわな。今ここでようやく気が付いた。

いずれにしても、私はなんとかして、ここスイスを脱出しなければならない。なぜなら、明日が帰国だからだ。

さて、どうするか・・・。
考えろ! さあ! どうやったら明日の帰国便に乗れるのか、ベストの手段を必死に考えろ!


・・・・ちょっと長くなったので、ここでひとまず終了。

続く~(笑)