クラシック、オペラの粋を極める!

海外旅行はオペラが優先、コンサートが優先、観光二の次

2024/4/17 東京・春・音楽祭 アイーダ

2024年4月17日   東京・春・音楽祭   東京文化会館
ヴェルディ  アイーダ(コンサート形式上演)
指揮  リッカルド・ムーティ
管弦楽  東京春祭オーケストラ
合唱  東京オペラシンガーズ
マリア・ホセ・シーリ(アイーダ)、ルチアーノ・ガンチ(ラダメス)、セルバン・ヴァシレ(アモナスロ)、ユリア・マトーチュキナ(アムネリス)、ヴィットリオ・デ・カンポ(ランフィス)、片山将司(エジプト王)    他

 

オペラ作品の上演の成否を握っているのは、まあ一般論としては「指揮者」ということなのだろう。
だけど、実際的には、かなりの比重で「歌手」が担っているのが、結構な現実ではなかろうか。

ここ東京・春・音楽祭では、「演奏上の鍵を握っているのが、明らかに絶対的に指揮者であり、その次にオーケストラ」という、世界でも稀有の実例を見つけることが出来る。
これほどまでに徹底された顕著な特徴は、世界を見渡しても、どこにも見当たらない。ウィーンにも、ミラノにも、だ。


この特徴を実現可能にし、そこに特別な価値を作り出すことが出来る世界でただ一人の男、リッカルド・ムーティ

ムーティがこの客演に情熱を注いでいることは、火を見るよりも明らか。
エストロは、使命感に燃えている。自らの経験、自らが学んだイタリア・オペラの伝統を後進に伝授するために、全力を尽くしている。
ヴェルディには歌があり、起伏に満ちたドラマがあり、劇的な緊迫感があり、燦然たる輝きと高い格調性がある。そのことを一途に説き、音楽に落とし込んでいる。


そうした巨匠の意図を限りなく忠実に実行しようと、懸命に演奏するオーケストラが存在する。

東京春祭オーケストラ。
若手を中心として選抜されているが、日本のトップクラスと言ってもいいくらいの精鋭集団。
その奏者たちが、ムーティのタクトの下に集い、ムーティの音楽に集中し、最大の献身性をもって演奏する。

その意味において、東京春祭オケは、どの常設プロオーケストラにも、決して勝るとも劣らない。
ムーティとのコンビによるヴェルディ演奏に限定するのなら、決してオーバーではなく、もしかしたら世界のトップレベルかもしれない。


ソリスト歌手については、個人によってレベルの差があり、また、調子の波や演奏上の細かい傷もあり、全体として一定の水準をキープしつつも、極上だったとは言い難い。

だが、ここまで述べてきたとおり、本公演の演奏は、指揮者とオーケストラ(あとは合唱)が示したイタリア・オペラの究極像であった。歌手の出来次第に決して左右されない頑丈な軸があったのだ。


かのごとく、ヴェルディの真髄を体験することが出来る東京・春・音楽祭。
そして、日が変わった翌日、今度は同じ会場で、R・シュトラウスの「エレクトラ」が鳴り響く。

私は、さすがにバーデン・バーデンで聴いちゃったこともあり、これをパスするが、日本を代表し、世界に誇る音楽祭へと発展した「東京・春・音楽祭」は、いよいよクライマックスを迎える。

心より、おめでとうございます、20周年。

2024/4/15 オッカ・フォン・デア・ダメラウ 歌曲リサイタル(東京・春・音楽祭)

2024年4月15日  O・v・d・ダメラウ & S・レノー リサイタル(東京・春・音楽祭)  東京文化会館 小ホール
《歌曲シリーズ vol.40》
オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)、ソフィー・レノー(ピアノ)
ブラームス  歌曲集より
ベルク  4つの歌  他
マーラー  リュッケルトの詩による5つの歌曲   他
ワーグナー  ヴェーゼンドンク歌曲集   他

 

国際的に大活躍しているスター歌手、というほどではないけど、ドイツ物オペラ作品の上演を支える重要な脇役のメゾで(例えば、ブランゲーネとか、エルダとか)、歌劇場に欠かせない存在・・・

オッカ・フォン・デア・ダメラウは、きっとそういう歌手だ。
私は、これまでにミュンヘン、フランクフルト、ドレスデンで、彼女が出演するオペラを観ている。(日本にもバイエルン州立歌劇場の来日公演で来たことがある。)


「歌唱の話と全然関係なくてすみません」なんだけど、このお方、もう、いかにもドイツのオバちゃんというお顔と体型をしていて、あちらに行くと、ホントいるんですよ、こういう人(笑)。
オバちゃんという言い方が失礼なら、女将さんって感じかな。
日本にもいますよね、そういう雰囲気のお母さん。

でも、ドレスを着てステージに立つと、大きな身体も含めて、神々しい存在感が際立つ歌手に変貌する。まさに芸術家だ!


声のカテゴリーは、一応メゾ・ソプラノということになっているが、深いアルト系ではなく、どちらかというとソプラノの方に寄っている。豊かな声と、さすがドイツ人、ドイツ語歌詞の歌い回し方がエレガント。

プログラムの構成上、前半最後の「リュッケルト」、後半最後の「ヴェーゼンドンク」がメインになっているが、個人的に、ベルクとマーラーの小品歌曲が、何気に良かった。また、アンコールで演奏したマーラーの小品2曲も、とてもチャーミングだった。

2024/4/13 東京・春・音楽祭(ブラームスの室内楽)

2024年4月13日   東京・春・音楽祭   東京文化会館 小ホール
ブラームス室内楽Ⅺ》
周防亮介(ヴァイオリン)、小川響子(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、向山佳絵子(チェロ)
ブラームス   弦楽四重奏曲第1番、第2番、第3番

 

2014年から本音楽祭でシリーズ化されている「ブラームス室内楽」。今回が11回目で、発表によると、これが最後になるという。
第1回からずっと出続けているのが、ヴィオラの川本さん。つまり、彼女が企画の要であり、なおかつシリーズをここまで継続させた功労者ということだ。
チェロの向山さんも出演回数が多く、あとは作品に応じて、出演者が臨機応変に揃えられてきた。今回のこの4人による演奏は初めて。

言うまでもなく、日本を代表する弦楽器奏者の方々である。
メンバーを固めて活動しているクァルテットの演奏を聴くのも良いが、こうして普段一緒に活動していないトップ奏者たちが一同に会し、その結実を聴くというのも、これまた良い。
ちなみに、ブラームス弦楽四重奏曲の3曲すべてをコンサートで聴くのは、私自身初めて。なので、楽しみにしていた公演だ。

ところで、ヴァイオリンの周防さんと小川さんは、甲乙付けがたい有能な奏者。いったいどっちが1stを弾くのだろうか、というのが実は個人的に率直な注目点だった。
ソロ活動の経歴で見るのなら周防さんに一日の長があるかもしれないが、一方で小川さんはあの「葵トリオ」のメンバーであり、室内楽の功績で彼女の方に分があろう。

結論はというと、ちゃんと分担した。第1番と第3番が周防さん、第2番が小川さん。なんとなく予想どおり(笑)。


演奏はもちろん言うことなし。「これぞブラームス」という室内楽を堪能。
単なる「4人で合わせました」ではなく、それぞれのパートからブラームスをとことん追求していく姿勢が見受けられ、「深い」と思った。
ヴァイオリンの1stと2ndを周防さんと小川さんでチェンジするだけで、様相がガラッと変わるというのも、面白かった。

演奏側からしてみると、技術的に作品を手中に収めたとしても、しっかりとブラームスの真髄を聴かせるという意味で3曲を一気に披露するのは、かなりハードだったのではないかと慮る。

また、通常どうしても旋律を担い、響きやすい高音パートを受け持つヴァイオリンの音が耳に入って来やすい性質があるが、チェロもヴィオラも均等に音が重なっていることにも感心した。
さすが川本さんと向山さん、ベテランの貫禄・・・

おっと、これって女性に対し表で言ってはいけない発言??(笑)

2024/4/13 東京・春・音楽祭(合唱の芸術シリーズ)

2024年4月13日  東京・春・音楽祭   東京文化会館
《合唱の芸術シリーズ Vol.11》
指揮  ローター・ケーニヒス
管弦楽  東京都交響楽団
合唱  東京オペラシンガーズ
ハンナ・エリザベス・ミュラー(ソプラノ)、オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)、ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(テノール)、アイン・アンガー(バス)
ワーグナー  ジークフリート牧歌
ブルックナー  ミサ曲第3番

 

以下の感想記は、ブルックナーに限ってということで。(ワーグナーについては省略)

今年は生誕200年記念ということで、各オーケストラが競うかのように彼の交響曲をシーズン中のプログラムに組み込んでいるが、こういう作品をピックアップしてくれるのが嬉しい。こういう作品こそ、記念年に相応しい。
なぜなら、ブルックナーという作曲家の理解を深めようとする時、敬虔なキリスト教信者で、教会のオルガニストだった彼の宗教曲は、重要な位置付けとされるからだ。

さすが、目の付け所が違うね、東京・春・音楽祭。

そして、この演奏のために海外から一流ソリスト歌手を揃えてきたというのも、ポイント。
ハンナ・エリザベス・ミュラーとアイン・アンガーの二人は、おそらくこの1公演だけのための来日だと思う。なんとまあ、贅沢。

あ、指揮者のケーニヒスもそうだね。お疲れ様です。

そのケーニヒスの音楽。
タクトを見、音楽を聴いて、「あ、熟知しているな」と感じた。

この「熟知」には2つの意味があって、一つは作品そのものをきちんと理解しているということ。
もう一つは、こうした合唱付き宗教曲の構築の仕方、響かせ方を把握しているということ。

「そんなの指揮者なんだから当然じゃないか」という指摘もあるかもしれないが、「いや、違う」と思う。指揮者にだって、得手不得手がある。
なんというか、手慣れているというか、染み付いているというか・・。
頻繁に演奏されない作品のはずなのに。

タクトそのものはオーソドックスで派手さはないが、手の動きは単なるテンポの刻みや運びでなく、導入、造形、表現に集約されている。
音楽の筋が通っていて、誇張、誇大化せず、透明な響きを基本にした、清らかでまっすぐな演奏だ。
合唱曲の扱い方が上手いのは、ウェルシュ・ナショナル・オペラの音楽監督を務めた経験が物を言っているのかもしれない。


本公演のサブ・タイトルが「合唱の芸術シリーズ」というとおり、演奏上、重要な役割を占めていたのが東京オペラシンガーズの合唱だったが、これがまた素晴らしかった。実に感動的であった。
響きが徹頭徹尾美しい。発声もクリアかつ滑らかで、迫力も十分。日本人による演奏団体がこれを成し遂げたのである。ドイツ人指揮者も十分に満足したのではないだろうか。
(我々からしてみれば、実力に定評がある東京オペラシンガーズの成果に、何の不思議もない。)


一方で、ソリストについては、大したコメントはできない。
そもそも、作品の中にアリアのような聴かせどころがほとんど無く、個々としてはあまり目立たない。彼らは、ひたすらミサ曲の演奏を構成し、支える一パートでしかないのだ。
そうした作品に対する献身性ということなら、十分に役目を務めたと言えるかもしれない。


さて・・・。
本日はダブルヘッダー。しばしの休憩の後、文化会館小ホールに移動して、同じく音楽祭の室内楽を鑑賞する。

2024/4/11 D・トリフォノフ ピアノ・リサイタル

2024年4月11日   ダニール・トリフォノフ ピアノ・リサイタル  サントリーホール
ラモー  新クラヴサン組曲集より
モーツァルト  ピアノ・ソナタ第12番
メンデルスゾーン  厳格なる変奏曲
ベートーヴェン  ピアノ・ソナタ第29番 ハンマークラヴィーア

 

「完璧」という言葉が相応しいコンサートだったと思う。

まず、選定されたプログラムがいい。
ラモー、モーツァルトメンデルスゾーン、そしてベートーヴェン
全体としてのまとまりがあり、時代の流れのようなストーリー性があり、「ハンマークラヴィーア」でクライマックスに到達する構築性がある。この配置は、単なるセンスの問題だけではなく、劇的効果も視野に入れた周到な推考の末の結論と思われる。

肝心の演奏も完璧である。
作品ごと、あるいは楽章ごとにタッチを変えて異なる音色を創作し、ダイナミックさと併せて強い必然性と説得力が伴っているが、これらについても上記と同様、哲学的な思索の成果だ。

ついでに、デビュー時の若造イケメン貴公子からイメチェン脱却し、髭を生やして本格実力派の雰囲気を漂わせる自己プロデュース力も、これまた完璧。


以上、「完璧」という言葉をつらつらと並べたが、ならばこれが彼の頂点、完成形かというと、まだまだ深化しそうな気配も十分。今後も実に楽しみな逸材だ。


しかし、それにしても、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」、ホントとてつもない作品だなあ。
久しぶりに生で聴いたが、宇宙を織り成すかのような、まさにピアノの金字塔と言える傑作だ。

この曲の生鑑賞体験で、超絶名演として忘れられないのが、ポリーニの演奏。
改めて、故人を偲びたい。

最近のニュース

ずっと連日旅行記を書いてきたが、その間にクラシック関連でいくつかニュースがあった。
全然触れることができなかったので、振り返ってまとめてコメントしてみたい。

まず、残念な一件として、マウリツィオ・ポリーニの死去。
間違いなく不世出であり、孤高のピアニストであった。

私の世代では、上の方にホロヴィッツリヒテルミケランジェリらがギリギリいたものの、既に峠を越し、晩年に差し掛かっていた。
だが、老巨匠に頼らなくても、我々にはポリーニがいた。(あとはアルゲリッチね)
彼の全盛期に居合わせ、演奏を直接聴くことが出来たのは、この上ない幸せだったとしか言いようがない。コンサートでは、技術を超越した完璧なピアニズムに、毎回圧倒された。

偉大なピアニストを失ったが、彼が録音した名演奏は未来永劫残る。燦然と輝き続け、語り継がれる。それが救いだ。


続いては、良い知らせで、ブロムシュテットの復帰。
3月下旬のシュターツカペレ・ドレスデン公演をキャンセルしたため、復活は厳しいかと思っていた矢先、先週のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管公演で指揮台に上がり、ファンを驚かせ、そして喜ばせた。
椅子に座りながらではあったが、無事にシューベルト交響曲第2番と第4番を振りきったのだという。

すごいなあ。
なんだか執念みたいなものを感じる。
元々、病気というよりは怪我が原因での長期療養だったから、リハビリが上手くいけば復帰の道筋は立っていたのかもしれない。
こうなると、秋の来日に再び明るい兆しが見えてくる可能性もあるが、まだまだ先の話。ここはとにかく静かに見守り、祈ることとしよう。御本人の健康と体調が一番。無理はなさらずに。


クラウス・マケラのシカゴ響音楽監督就任のニュースも、結構驚いた。マジか~。
いやだって、その出世街道、早すぎでしょう。まだ28やで。
28でパリ管手に入れ、コンヘボ手に入れ、でシカゴかよ。
もうこのあと残っているのは、ベルリン・フィルしかないじゃんか。

何だか、本人の手腕以上に、周りが騒ぎ、もてはやし、担ぎ乗せている感がしないでもない。つまり、「英雄、スーパースターを作り出そう」という、業界、エージェント絡みの営業的戦略、思惑だ。

大丈夫かなあ・・・。本当にこのまま順調に階段を登っていくのか。
スポーツみたいに明確な勝ち負け結果が出ない世界だから、余計に不透明の部分はあるが・・・とにかくしばらくはその飛ぶ鳥を落とす勢いを注視していきたい。

ところで・・・
ユジャ・ワンと別れたという噂を聞いたのですが・・・ホント??

ユジャ・ワンが共演予定だった公演をキャンセルしたらしいけど、主催者側からすれば、マジいい迷惑だよな(笑)。

2024/4/7 東京・春・音楽祭(ニーベルングの指環ガラ)

2024年4月7日   東京・春・音楽祭    東京文化会館
ニーベルングの指環 ガラ・コンサート
指揮  マレク・ヤノフスキ
管弦楽  NHK交響楽団
ヴィンセント・ヴォルフシュタイナー(ローゲ、ジークムント、ジークフリート)、エレナ・パンクラトヴァ(ジークリンデ、ブリュンヒルデ)、マルクス・アイヒェ(ヴォータン)、杉山由紀(フリッカ)、岸浪愛学(フロー)、中畑有美子(森の鳥)    他

 

上野、日曜日、桜満開、天気晴れ・・・ものすごい人出!!
そして公演のお客さんも満員!
花見客が会場に立ち寄るなんてこともないから、これは注目公演だったということだろう。やはりワーグナーは人気があるのだな。


85歳のヤノフスキがお元気なのが、とにかく嬉しい。
タクトも音楽も、全然枯れてない。飾らず、ガッチリと、まっすぐに推進していく姿勢がいかにもヤノフスキらしい。いつものとおり、安心安定のワーグナー

N響の演奏も、実に手堅い。
オペラで聴くよりもシャープな感じがしたのは、ピット内ではなくステージ上で演奏しているから、という理由だけではないだろう。楽譜に忠実、指揮に忠実、真面目に正確に演奏するN響だから、焦点が明確、実像がリアルなのだ。響きの構成感も申し分ない。


歌手については、特段の不満もないが、かといって大絶賛という感じでもない。
ヴォルフシュタイナーは、3役全部同じ歌い回しで、何の工夫も無し。
パンクラトヴァは、もっと全体を支配制圧するような偉大な声を持っているはずなのに、何だか丸く収まっていた。ただ、音楽に対する集中力、役に対する没入感が凄くてさすがだった。

結構染みたのは、森の鳥役の中畑さん。良かったです。


本公演では、ゲスト・コンマスとして、ヴォルフガング・ヘントリヒというお方が招かれていた。
調べてみたら、ドレスデン・フィルのコンマスである。
ということは、昨シーズンまで首席指揮者だったヤノフスキが直接引っ張ってきたということだろうか。

残念ながら聴けなかったけど、先立って行われた「トリスタンとイゾルデ」公演では、メトロポリタン歌劇場管弦楽団からベンジャミン・ボウマンというコンマスを招いたらしい。ずいぶんとまあ豪勢なこと。

ていうか、いつの間にかもうライナー・キュッヒルじゃなくなってるのね・・・。